第005話 偽善

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第005話 偽善

「レイチェル、助けるって… この令嬢を?」  自我を失い倒れこんでいるマルティナを介抱し始めるレイチェルにリーフは声を掛ける。 「えぇ、そうよ… 私に御姫様抱っこは無理そうだから… 負ぶるしかないかしら…」  マルティナの身体はレイチェルよりも少し小柄ではあるが、所詮、レイチェルの貴族令嬢の腕力、男性がするように女性を抱きかかえるだけの力は持ち合わせていない。 「分かっているの? レイチェル、その娘はレイチェルに魔法を掛けて、殺そうとしたんだよ?」  リーフはレイチェルが昏睡してからの一部始終を見ていたので、レイチェルが昏睡してからの事情を話す。 「なるほど、それで、両手でガッチリとナイフを握りしめているのね、でも都合がいいわ、この腕の輪の中に頭を入れればずり落ちないわね… でも、ナイフはこのままでは危ないから何とかしないと」  レイチェルはそう言うと、ハンカチを取り出し、ナイフの刃に撒きつけて結び、運搬中に触れても危なくないようにする。 「レイチェル、それでいいの?」  リーフは最後の確認をするように尋ねるが、レイチェルは、マルティナの腕を頭にかけて、自分の身体をマルティナの身体の下に滑り込ませるように動かし、よっこいしょっと背中に背負って持ち上げる。 「結果的に私自身は無傷だし、この令嬢も一生を人事不省で過ごす程の罪を犯していないわ。それにね…」  レイチェルはリーフに視線を移す。 「古い言葉に『罪を憎んで、人を憎まず』って言葉があるのよ」  そう言ってリーフに微笑んでから、慣れない負んぶに少し、足をふら付かせながら、教室の出入口の扉へと向かう。 「分かったよ、レイチェル… で、彼女をどこへ連れて行こうとするの?」  リーフはレイチェルの言葉に納得は出来ないが、理解をしめして尋ねる。  レイチェルは肩で扉を押し開こうとするが開かず、マルティナを担ぎなおして、片手で扉の取っ手を掴み、引いて扉を開ける。 「そうね… 教会か神殿か… 神聖な場所ね… 確か、学院内に礼拝堂があったはず、そこに行きましょうか」  レイチェルは扉をくぐり、廊下へ出ながら答える。 「礼拝堂? 医務室とかじゃなくて、礼拝堂なの? どうして?」 「前にも一度、こんな事があったのよ、その時は神聖な場所へ連れて行ってなんとかなったのよ」  レイチェルは負ぶる事に集中しながらリーフに答える。 「前にも一度って… それ、いつの話? 私、レイチェルと知り合ってから、こんな事件起きたことがないよ」 リーフの言葉で、自分の失言に気が付いて、唇を噛む。 「そもそも、レイチェルはあの『人型』の事を知っている様だったけど、なんで知っているの? どこで、いつ知ったの?」  リーフはレイチェルの顔の横で、訝しみと憂慮を表しながら、問い詰める。  リーフはレイチェルにとって、他の誰よりも信頼できる存在であり、唯一の親友でもあった。だから、いくつかの秘密についてはリーフに打ち明けていた。その一つがこんな時間に教室に確認しにくる原因となった『とある物語』であり、その事について、リーフには予知夢で見た物として話していた。  しかし、前世、こことは全く異なる世界で生きていた事については、一切、喋っておらず、あの『人型』についても、前世で終わった事とレイチェル自身も考えていたので、そのうちリーフに打ち明けるべき項目にもなっていなかったのだ。  リーフはレイチェルにとって、ただ唯一の心を許せる存在だ。リーフもレイチェルの事を第一に考えてくれる。だからこそ、リーフには、異なる世界の前世での事を話せずにいた。 「ねぇ… レイチェル…」  リーフの言葉に、考え込み返事を返せずにいたレイチェルに、リーフが再び言葉を掛けてくる。 「レイチェルは… 本当にレイチェルだよね?…」  リーフの言葉の衝撃に、レイチェルは思わず足を止め、立ち止まってしまう。動悸が高鳴り、手に汗が滲む。 「あの『人型』に乗っ取られていたりしないよね? レイチェルはレイチェルだよね!?」  レイチェルはリーフの言葉に、瞼を閉じ、小さく深呼吸してして、胸を撫でおろした事を誤魔化す。そして、少し口角を上げてリーフを安心させるための笑みを浮かべながらリーフに向き直る。 「リーフ… 私は私よ」  レイチェルの笑みと言葉に、リーフも安心したように胸を撫でおろす。 「だけど、その他の話は後でするわ、今は急がないと…」  レイチェルはすぐさま前に向き直り、先ほどより足早に歩みを進める。レイチェルの視界の端には理解したように小さく頷くリーフが見えた。レイチェルの胸がチクリと痛んだ。  その後、レイチェルたちは本館を出て、礼拝堂に続く渡り廊下のある屋外へと出る。屋外は明りの無い屋内とは異なり、月明りや近隣の街明りなどがあり、足元が見やすく歩きやすい。そして、渡り廊下を渡り切り、礼拝堂の扉の前に辿り着く。  レイチェルは再び、肩で扉を押し開けようとするが扉は開かない。 「レイチェル…」 「わ、分かっているわよ、引けばいいんでしょ?」  レイチェルは少し赤面しながら、マルティナを背負いなおし、取っ手に手を掛け体重を掛けて引いてみる。  ガンッ  しかし、扉は開かない。鍵か閂が掛かっているのかと考えながら、取っ手を捻って押してみると、扉はすんなりと開かれた。 「……」  リーフは何か言いたそうな顔をしていたが、レイチェルは無視して礼拝堂の中へと進む。  礼拝堂の中は、下校時間の過ぎている校舎と同じく明りは灯っていないが、かなり高い天井に、両壁に採光用の窓があり、月明りを取り込んで、青白く照らし出されている。特に最奥の祭壇と教壇のある場所には、まるでスポットライトの様に、幾つもの月明りが差し込み、神聖で幻想的な場を醸し出している。  レイチェルはその最奥の場所へ誘い込まれる様に、礼拝堂の中央を進む。祭壇に月明りを照らす上方を見上げると、様々な神話を表すステンドグラスが飾られており、それぞれのガラスの色の光が差し込んでいる。しかし、それら色々の明りが、その焦点にある祭壇に集まると全ての色が合わさって、祭壇を淡白く照らす。  気が付くとレイチェルは教壇前まで進んでおり、視線を下げると、祭壇にはこの世界で信仰されている九柱の神像が祭られており、左端の神像には布が被せてある。  レイチェルはこの荘厳で幻想的な光景に見て回りたい気分になったが、背中の重みに本来の目的を思い出し、教壇前の最前列の長椅子に背中のマルティナを降ろす。そして、首に回していたマルティナの腕を外し、長椅子の上に横たわらせる。  そして、ひと仕事ついてレイチェルがほっと息をついた時、 「誰かいるのかね?」  ふいに祭壇横の扉の奥から、男性の声が響く。 「リーフ! 逃げるわよ!」  レイチェルはすぐさま踵を返し、声の主を確認することなく駆け出した。 「えっ!? えっ!? あの令嬢はあのまま放置していいの?」 「いいのよ! あとはここの人が勝手にやってくれるわ」  レイチェルはそう言うと礼拝堂の外へ飛び出していった。
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