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かわいいな
「すこしでも気が散ると、佳乃のことを思い出してしまうからデザイン以外のことは考えないようにしてたんだ。外の世界から目を背けてた」
なるほど、浮世離れの原因はこれか、と玲奈は思う。
「そのうち、佳乃のことはほんとうに忘れてしまったんだ」
玲奈は悠人の頬をむぎゅっとつかんだ。
「名前を呼ぶな」
「ごめん。あいつのことは忘れた」
玲奈はくしゅっと顔をしかめると、やっぱり名前でいい、といった。
「あいつ、のほうがムカつく」
「ごめん。でも玲奈に会って、玲奈が一番になって、玲奈以外の女はどうでもよくなった。これはほんとうだよ」
「うん」
「服を作る以外で、はじめて大切なものができたんだ」
「うん」
「それなのに」
玲奈を抱く悠人の手にぎゅっと力が入る。
「目の前に佳乃があらわれたら、頭が真っ白になって動けなくなった。またあのときに引き戻されるようでこわかった」
「だいじょうぶ。わたしがついているから」
「うん。もう会いたくない」
「わかった。わたしが会わせないようにするから、安心して。仕事が終わるまで待っているから、いっしょに帰ろう」
悠人は安心したように、ようやく腕をゆるめた。
かわいいなぁ、コノヤロー。でかい図体をしてふだんはふんぞり返っているくせに、たまに弱ってこうして甘えてくる。「俺様」は悠人の鎧なのだ。ガチガチにかためて目に見えない敵に立ち向かっている。その鎧を脱げるのは玲奈と涼太郎の前だけだ。
ゼロからなにかを創りだすのに、いったいどれだけのエネルギーを費やすのか。そして放出されたエネルギーの反動は如何ばかりなのか。玲奈には想像もできない。
寝入りばな、たまに悠人は玲奈の懐にもぐりこんでくる。あやすように頭をなでてやると、安心して眠りに落ちる。たぶん、こうやってバランスを取っているのだ。最初に会ったときに感じた脆さの正体はこれだったのかと思う。
玲奈がいなかったときにはどうしていたのだろう。あまり考えたくはないが、癒してくれる彼女がいたのかもしれない。
昔の女の存在はすこしムカつくが、いま悠人の緩衝材になりうるのはわたししかいないのだと、玲奈は優越感にひたる。さすがに涼太郎にここまで甘えないだろう。
翌朝、ふたりで連れだって事務所にやってきた玲奈は、悠人をアトリエに送り込むと、涼太郎を呼び止めた。
「どうしたものかしら」
「くっそ、あの女。じゃまばっかりしやがって」
温厚な涼太郎がめずらしく語気を強める。きのうのうちに、未希から報告を受けた涼太郎は、写真をみて顔をしかめたのだった。
「いま、いいバランスなんだよ。玲奈といっしょになる前は、悠人はいつもギリギリに張りつめていたからね。いつか弾けるんじゃないかって心配だったんだ。玲奈のおかげですこしゆるみが出てきていまが一番いいんだ」
「わたしはゆるみ?」
「いってみれば余白だな。悠人には必要なものだよ」
「そうなんだ」
「きみ、いろいろと刺激的だったからね、悠人も現実にもどってきたっていうか」
「刺激的って」
「ああ、からかっているわけじゃないよ」
「いえ、刺激的は認めます」
玲奈は当時を思い出して、ちょっと赤面する。
「だからいまさら出てこられてもじゃまなだけなんだよ。バランスをくずされたくない」
涼太郎は吐きだすようにいった。
「佳乃の目的がわからないのがこわいな」
「ここにきたってことは、悠人に会いに来たのよね」
「だろうな。偶然通りかかる場所ではないからね」
「悠人はなにも話していないっていってたけれど」
「とにかく、これ以上の接触は避けたいな」
「うん、悠人も会いたくないっていってたわ」
今朝の悠人は、表面上はいつもどおりだったが、心のうちはどうだかわからない。すこし気になる。
涼太郎は事務所にいるスタッフたちに声をかけた。
「悠人が外に出るときには、誰かついてくれ。ひとりで外出させるな。コンビニでもだ」
「え、なんでですか」
「接触を図ってくるやつがいるかもしれない。それを避けたい」
「ストーカーですか?」
「そうじゃないといいんだけどな」
「どんなやつです?」
「日に焼けた女だ」
「ざっくりしすぎ」
「見ればわかる」
「訳アリっすか」
そういったスタッフは玲奈にぎろりとにらまれて、すくみあがった。
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