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よかトピア万博の中で……
アジア太平洋博覧会ー福岡'89は1989年3月17日~9月3日まで福岡県
福岡市早良区百道浜及び中央区地行浜一帯の臨海埋め立て地区にて開催された
地方博覧会であった。
小生は、この博覧会のために、電通の東京本社勤務23年から九州支社へと
単身赴任した。所謂「博ちょん」として3年半を博多で過ごした。
住まいは地下鉄で西新の手前の今川という高級住宅街にマンションを借り
た。
当時は支社は中州近くの那珂川沿いにあった古いビルであったが、天神駅に
近く、小生は唐人町駅から天神駅までの約15分ぐらいの優雅がアクセスだっ
た。姪が浜から乗る英会話クラブのOさんと一緒になることも多く。少しの語
らい会社に着く楽しい思い出の通勤だった。
正式名称はアジア太平洋博覧会だったが、通称はよかトピアという名前だっ
た。博多弁のよかを取り入れた、なかなかのネイミングだった。
小生はこの博覧会において、やまや明太子のやまやの社長プレゼンテーショ
ン、映像制作1億、パビリオンの制作1億、運営1億合計、3億円の予算で
更地からのプレゼンテーションで社長から、OKを貰った時は嬉しかった。
アジア太平洋博覧会の一番の人気館になったやまや館は、世界ではじめての
3Dによる映像、宮沢賢治制作の「注文の多い料理店」は後にオーディオ・ビ
デオ賞の特別賞を頂いた。
その中での「よかトピア」という通称だったが、地方博覧会という地域制を
重要視した博覧会は成功裏に終わった。
精魂込めて仕事に当たれば、成功は疑いなしという感じだった。
パビリオンはドーム型にしたが、小生が提案した。後楽園ドームの影響だっ
た。
注文の多い料理店は電通プロックスと組んでの提案であったが、赤と青のメ
ガネで見る立体映像は、料理が見ている自分の前に来るぐらい凄い効果ある出
来栄えであった。
イラストも当時も超一流だった方にお願いした。
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