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第三十五話 出逢い
粗末な身形に、頭巾を深々とかぶった男が荷車の先棒を握っていた。
橋の上の者らが気づくより早く、荷車の男が行く手の光景に足を止め、頭巾の陰から様子を伺う。どうする。巻き添えを恐れて引き返すか。
娘が、両腕を押さえ込まれて悲鳴を挙げる。クリシアは震えながらも立ち上がろうともがくが、身体が言うことを利かない。咽喉の奥から小さな呻きが漏れる。
そのクリシアの眼に、荷車の男がまるで何事もないかの如く橋に差し掛かったのが見えた。
男たちがやっと荷車に気づき、娘を押さえたまま目を向ける。頭巾で顔を隠した相手は、気にもしない体で近づいていく。だがそのままでは橋を渡れず、彼らの直前で立ち止まる。
兵士たちがこの闖入者に半ば呆れつつ、邪険に追い払うような仕草を見せた。予期せぬ救い主に娘自身もが目を向ける。だが、荷車の男はその娘も三人の雑兵もまるで視界に入っていないかのように、そのまま無言で立っている。
腹を立てた男たちが続けて威嚇した時、隙を見て娘が遮二無二兵士の腕を振りほどき、荷車の背後に隠れた。雑兵の一人が捕まえようと追う。と、荷車が斜めに動き先棒が邪魔をした。
かばう気だ。クリシアが注視する。
雑兵たちは、男を敵とみなしたらしい。ゆっくりと身構える。争いの場特有の気が漂い始める。
男が背後に声をかけると、娘は震えながら頭を下げ、手籠とこぼれた中身をかき集めて転げるように逃げていった。
顔を隠した男が、無造作に身をかがめて荷車の先棒を置く。隙だらけのその動きに、兵士がすかさず男を蹴りあげる。が、蹴られたと見えた男の身体は、一瞬で荷車の脇に移動し、そして手にはいつの間にか一本の杖を持っていた。
思わず目を見張る。
あの間合いで蹴りをかわし、荷車にさしてあった杖を抜いたのか。かなり心得のある動きだ。
男たちもただの農民ではないと気づいたらしい。顔を見合わせ、それぞれ用心深く間合いを取る。剣の柄に手をかけている者もいる。愚かな行為だ。自分たちが蒔いた種で農民を傷つけたなどと知れたら、処罰は免れない。だがそんなことが分かる頭があれば、そもそも農家の娘に手を出したりはすまい。
クリシアは、草叢から先行きを見守っていた。男の出現に、少しずつ落ち着いてくる。
件の男は杖をだらりと提げたままだが、相手らはなかなか踏み出せない。じりじりと時が経ち、だんだんと場が緊迫していく。雑兵たちが次第にその気に飲み込まれていくのが分かる。巷の諍いにありがちな、後戻りのできない場面へと変わったのだ。
ついに三人が剣を抜いた。三様に男を狙う。そして一斉に動いたと見えたとき、頭巾の男の身体は一瞬で彼らの合間をすり抜けていた。鈍く唸る音が飛ぶ。
男と三人の位置が入れ替わったとき、兵士たちが身体をぐらつかせたと見るや次々と倒れ込んだ。
クリシアが息を呑む。
男の動きが見えなかった。
杖を構えるでもなく、ただ三人の剣をかわしたまでは分かる。その時何が起こった。杖がゆらいだように見えた瞬間、声も上げずに三人が倒れた。彼らにも何をされたかわかるまい。
彼女は俄然男に興味を持った。これほどの腕は見たことがない。
男が周囲を見回す。クリシアには気づかない。誰もいないと見るや、昏倒している男たちの手から剣をもぎ取り、腰から鞘を引き抜く。三人の身体をまさぐり、首にかけていた軍兵の記章を奪い取った。値踏みするように一瞥したが、すぐに興味を失ったらしく全てを川に放り捨てる。
彼女はその振る舞いに溜飲を下げた。この川の深さなら、剣も記章ももう見つかるまい。帯剣はおろか軍の記章まで奪われたとあっては懲罰は免れない。しかも騒動の理由と相手がたった一人の農民と知れたら、間違いなく除隊だ。
そんなことを思っているうちに、その男はもう一度周囲に目を配ると、何事もなかったかのように荷車の先棒を引き、橋を渡ると遠ざかって行った。
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