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第四十三話 ファジーナにて
オラードをはじめとする周辺諸国に割譲された旧ヴェナード領は、それぞれ隣接する諸国がそのまま領土を拡大したというに等しい。
おおまかに北をスヴォルト、南をザクスール、そして西から中心部までをオラードが占め、その最西端は西海へと面している。エイテゴやルクルドなど領土に接していない周辺の連合諸国には、それぞれに見合う分の莫大な賠償金が支払われた。
ヴェナードを支配していた王族、貴族、その他の特権階級は、ほとんどが大戦を終結させた三国に送られ、生命と引き換えに自由を奪われたまま暮らしている。
もちろん、一国の支配層だった彼らの暮らしは、以前から見ればはるかにつましいながらも、なお平民とは比べるべくもないほどのものであったが、どの国においても居住地とされた堅牢な城から外へは一歩も出られず、常に行動を見張られていた。
オラードの北方、ファジーナには旧ヴェナードにおいて内政に関わっていた貴族の数名が送られていた。
統治を任されているのはオラードの名門貴族ケイロンズ家。
代々国政にも関わっており、当代の主のグラードゥスト・ケイロンズは、スヴォルトをはじめとする北方諸国との外交においては特使を任されることもある、若年より周囲に一目置かれ、領主となった後も着実に権力を伸ばしつつある人物だった。
ケイロンズは、自分の監視下に送り込まれたヴェナード貴族のうち、アトロビスという元大臣と意気投合し、暇ができては城館の部屋を訪ね、ヴェナードでの日々の話を聞く代わりに、内密で格別の待遇をしていた。
幽閉される戦犯者と、片やそれを監視する立場の領主だが、貴族同士は生きる世界が同じであるため、時として親近感が生まれることもある。
その日も、ケイロンズは高級な酒と菓子を手土産にアトロビスを訪ね、本来は禁じられている外郭への外出に共をし、戸外に誂えさせた食卓で初老の元大臣が話す異国の文化、風習や日々の暮らしの逸話に耳を傾けていた。
話に一段落がついた折に、ケイロンズが思い出したように言う。
「そういえば、バレルト候から、また干拓工事の嘆願書が出たとか」
「ほお、そうですか……」
「ジラーム郡の東の沼地とのことです。新たな関所もいくつか設けるようですが、どのような場所かご存知ですか?」
アトロビスが、記憶を引き寄せるようにしながら頷く。
「おお、良い場所に目を付けましたな。あそこは我らの代にも干拓の話が出ておりました。あの沼地が干拓できれば、東西の行き来がずっと楽になりますぞ。田畑が作れれば、かなりの民の入植もできましょうな」
「流民の定住地とするつもりの様です。ことが成されれば税も増える。バレルト候の手柄がまた一つ増えそうですな」
ケイロンズにも腹の内はある。彼にとってみれば、成り上がりのバレルトだけがオラードの名家を次々と越えていくのが苦々しく、また不安でもあった。
バレルトの権力は日増しに強くなっていく。国政の中心に入るのを少しでも阻もうと、貴族たちは結託してオラードにおけるバレルト家の領地をモルトナから拡大させぬよう王宮の重鎮や大臣一派に根回ししたが、王家の代官として旧ヴェナード領に赴任したバレルトが、いつかは自分たちをも脅かす存在となる予見はあった。
名家を世襲しただけの譜代貴族たちは、自分の力で立身出世をし領地を広げるという術を知らず、その裏返しとして新興勢力に対する怯えや不満が日々膨らんでいく。
今、オラードの貴族、旧家にとってバレルトの動向は今後の自分たちの行く末にも関わる重大な関心事だった。
そのため、皆さまざまな手を駆使して彼の躍進に歯止めをかけられるような材料がないかを探す。だが目下のところ、バレルトの政策は次々と功を奏し、彼を阻止する手立ては見つかっていない。
「ケイロンズ卿も、とかく心労が絶えませんな」
会話の途切れた中、アトロビスが思わせぶりな口を利く。
この男にしても、彼が何故ことあるごとにバレルトの話題を持ち出すかの真意は分かっている。
アトロビスにとっても、バレルトはヴェナードの滅亡と自分たち支配層を罪人へと貶めた中心人物であり、逆恨みではあるが彼に良い印象を持ってはいない。そして今自分を監督しているケイロンズに取り入れば、日々の生活をより上向かせることもできる。
「バレルト候についてのお話はいつも面白い。またお聞かせください」
アトロビスが、ケイロンズの眼を覗き込むようにして言った。
「あの大臣もしたたか者だな。何度となく足を運んだが、どこまでを知って話しているのかが今ひとつわからん」
帰りの馬車の中で、ケイロンズは側近のフィオレントを相手に愚痴をこぼしていた。
「元は一国の大臣です。そう簡単に足許は見せないでしょう」
フィオレントが返す。ケイロンズが世襲したときから彼の側に仕える、いわば懐刀だ。
「バレルトの干拓の件は、時を稼ぐように大臣どもに手配せねばならん。また金が要るな」
ヴェナードとの戦を終結させ、平定候という新たな爵位とともに王家直轄の代官となったバレルトだったが、現在の職務は旧ヴェナード領をオラードの一領土とするための下ごしらえでもあり、自身にすべての統治権を与えられたわけではない。
彼の施策のうち大掛かりなものは必ず本国に報告の上、最後はオラード国王が決済をする。そのため、彼の出世を快く思わぬ貴族たちは、その途中でいろいろと邪魔もできる立場にあった。
「デヴァン地方の徴税がやや遅れております。早急に資金が必要であれば、他の方々にも募られるべきかと思いますが」
フィオレントがいう他の方々とは、今までにもバレルトの脚を引っ張ろうと画策してきたオラードの貴族たちだ。ケイロンズもそれは分かっており、嘆息しながら頷く。
「大戦の資金繰りには我々も十分協力したというに、バレルトのみが恩恵に預かるとは、まったくもって腑に落ちん話だ」
割譲されたヴェナード領のうち、実際に領土を分け与えられたのは、バレルトをはじめほとんどが実際に戦った軍門の者ばかりだった。
国に留まり支援にあたった貴族たちには、供出した軍事資金の額に見合った報奨金の分配があったが、ヴェナードという一国が滅びたあの大戦で、戦後に莫大な利益を得たのは、オラード国王とその側近以外にはバレルトら本の一握りの軍人のみで、こと貴族にとっては戦前も戦後も大きな違いはない。
それは、永い歴史において時に君主や王族に反旗を翻すことすらあった貴族たちに、必要以上の力を付けさせることを嫌った国王の采配だったが、上昇志向の一際強いケイロンズなどにとっては強い不満の元ともいえるものだった。
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