第四十四話 肚(はら)の内

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第四十四話 肚(はら)の内

 馬車がケイロンズの居城へと戻ると、出迎えた侍従長のデンセンが彼にそっと耳打ちした。頷き返すとフィオレントに囁く。 「オームが来ているそうだ」  客間に入ると、やがて侍従に伴われ一人の貴族が入ってきた。  背はケイロンズとほぼ同じ。鉤鼻に良く動く眼、細い顎。そこそこの美男ではあるが、ケイロンズより十近くも年下でありながら、血筋からかすでに額が禿げ上がり始めている。 「お帰りなさいませ、ケイロンズ卿。お留守に失礼しております」  慇懃無礼な態度でこれ見よがしに一礼する。  隣郡であるクゼーロの領主の息子で、典型的な貴族の若総領だ。今年、年老いた父から家督を譲り受けたが、あまり有能ではないともっぱらの噂で、それにはケイロンズも以前から気づいていた。 「オーム殿。お待たせして恐縮です」  ケイロンズも返礼し、相手に椅子をすすめる。侍従は二人に蜂蜜入りの葡萄酒を出すと下がっていった。フィオレントも客に気遣い、控えの間に姿を消す。 「何か、お急ぎのご用でしたか?」 「ああいえ、郡境まで巡視に来ましたもので、お顔を拝見したいと思いまして……」  わずかに頬を引きつらせつつ、勿体付けた調子で言う。    またか、とケイロンズは心のうちで呟いた。  オームの居城から郡境までは四半日ほど。そこからこの城までは半日かかる。何の用もなく会いに来ることなぞなかろうが、と言ってもこの男の用件というのも、いつもたいしたものではない。 「何か、耳寄りな話でもありましたか?」  表だって無下にすることもできず、ケイロンズが尋ねる。 「はは、そのようなものがあれば私も嬉しいのですが……」  自分から会いに来ておきながら、用件を素直に話そうともしない。この誰をも信用しないような態度と物言いが、周囲を不快にさせるということに気づかぬのか。隣の部屋のフィオレントも、聞き耳を立てながらまたも呆れていることだろう。 「オーム殿、今日は遠出でいささか疲れておりまして……」  そう言いかけたケイロンズに、客は大仰に周囲を気にするような風体で身を乗り出し、やっと口にした。 「……バレルトの干拓の件はご存じですか?」  ケイロンズの顔を上目づかいで訊いてくる。 「ああ、その件なら私もうかがいました」 「ケイロンズ卿はどう思われます?」    やれやれ、この男はいつもこうだ。  自分も古くからオラードに仕える貴族の跡継ぎであるというのに、相も変わらず小心者というか、人の顔色を窺ってばかりで少々鬱陶しい。  このような話もわざわざ来訪するようなことではなく、むしろ貴族同士がバレルトの件で頻繁に会っているなど、国王の耳に入ればまた立場が悪くなるというのに、その自覚がない。あまり親しくしたくない人物だが、相手は寄らば大樹の陰で、ケイロンズはこの男の眼に適ってしまったらしく、ことあるごとに会いにくる。だが馬車の中での話通り、干拓の件を遅らせるにはこういった男の助けも必要だな、と我慢をすることにした。  とはいえ初めから手の内をさらけ出す必要もない。   「干拓の地としては、なかなかの目の付け所のようですな。流民の入植も見越してということで、オラードにとっては先行きの増税にもつながる。良いことと思いますが」  ケイロンズは、にっこりと微笑んで言った。  オームのこめかみが、神経質そうに痙攣する。 「確かにその通りですが……これでは、またもやバレルトの財が増えます。ますます我らへの物言いが傲慢になっていくやも知れません」 「確かにそうかもしれませんが、干拓が終わり植民が始まるのは一、二年も先。バレルト候もそれまでには山あり谷ありでしょう。そう慌てずに」  なだめつつ葡萄酒を勧める。オームがお義理にすするその様子を、ケイロンズは静かに窺った。南方には、頭に羽毛のない猛禽がいると聞く。動物の死骸を貪るらしいが、まさにこの男のような面構えだろう。    バレルトが今後も向き合う山や谷とは、果たしてどのようなものか。内心では頭を巡らせつつ、ケイロンズが表向きだけは噛んで含めるように言う。 「バレルト候の領地は旧ヴェナード領の三郡。いまはまだ、彼の地で統治に余念がない時期でしょう。我々は我々で、国王との強い絆を作ろうではありませんか」 「しかし、昨年の治水の折にも、かなり難儀をいたしましたし……」  不満げなオームに、ケイロンズが思いついたように言った。 「そういえば、フォルネーリ大臣の領地は春先の長雨で作付けが遅れ、今年の徴税にいささか不安があるとか。些少ながら義捐金を送らせていただこうかと考えております」 「はあ……」 「ですが、私一人では工面にも限りがあるので、良い方法はないかと思案しておりました。もしオーム殿にもご協力いただければ、大臣もさぞお喜びになると思いますが」   フォルネーリとは、王家に代々仕える大臣の一人で直轄領地の管理をしており、王宮での発言権も有する外戚の名家だった。地位は高いがケイロンズから見てやはり大した器ではなく、利用しやすい人物だ。  オームは、ケイロンズの話がどこを向いているのかを理解した。自身の領地も徴税には不安があるが、ここで断るわけにはいかない。 「それは、ぜひとも……」 「これはありがたい。では私からもオーム殿のご配慮を大臣に伝えましょう。先ほどの件も、吟味していただけるかと思います」  あくまで穏やかに、自らは表に立たず、危ういことは他人にやらせる。これが貴族として生き抜いていく鉄則だな。それに比べてこの男の蒙昧さは呆れるほどだ。とはいえ、こういう輩に限っていざとなると突拍子もないことをやらかすのもまた事実。付かず離れず、使えそうなところは利用させてもらうのが一番だ。と冷ややかにオームを見つめながら、ケイロンズの心は次に誰から金を出させるかに移っていた。   「ときにケイロンズ卿、バレルトの娘がモルトナの叔父の許に居ると耳に挟みましたが」  オームの言葉に、ケイロンズの心が立ち還る。  あの娘か。  一時はバレルトの醜聞につながるかと貴族たちが手ぐすね引いていたが、親許で隠遁しているとの報告に、もう使える素材ではないと皆が捨て置いた件だ。もちろん何かがあれば即座に報せが入るよう手配はしているが、今の彼にとってたいした価値はない。 「そうでしたな。何かございましたか?」 「いや、特には……ですが、あのような噂の立った娘。どのような暮らしぶりかと思いまして」  勿体ぶった様子のオームに、またバレルトの近辺を引っ掻き回そうとでもいう肚かと勘繰ってみる。だが貴族同士であっても、お互いに余計な物言いは禁物だ。しかも、今さらあの娘に手出ししたところで、バレルトの不興を買えばこそ、大きな利点はなかろう。  ケイロンズもそれ以上の深入りは控えた。    客が帰るとすぐにフィオレントを呼ぶ。オームからの資金調達について指示を与えた後、いまでは習慣ともなった問いをする。 「バレルトの動向について、他に報告はないか?」 「特に目立った変化はないようです」 「硝石についてはどうだ?」 「特にありません」  フィオレントが首を横に振る。  ソルヴィグで、フェルゾムがなぜあれほどの火薬を使えたのかは未だに謎だった。あれ以来、諸国の主だった領主たちは、火薬の原料である硝石の発掘地域を特定しようと、できる限り極秘に、かつ先を争うように手を広げ躍起になって探していたが、めぼしい報せはまだない。  小さく頷いたケイロンズは、フィオレントが立ち去らないので顔を上げた。 「他に何かあるのか?」 「バレルトの娘の件での報告です」  彼の眼が部下の顔で止まる。  日に同じ者の話題が二回も出るとは、これは何かの兆しか。 「新たに小作人を一人置いたとのことですが、娘自らが目を掛けたようです。マーカスという名の男です」 「ふむ……それで?」 「今のところはそれだけです」  常であれば、たかが小作人一人に興味までは及ばない。だが、部下のその言い方にケイロンズは却って関心を示した。今の報告をもう一度考える。余人とも会わず、滅多に表に出てこなくなったという女が自ら目をかけた男とは、この先何かに使える代物だろうか。 「分かった。進展があればまた報告しろ」    フィオレントが退室すると、ケイロンズは葡萄酒を一口含んだ。口の中でころがしながらゆっくりと飲み下す。  バレルトをヴェナード領に封じ込めたものの、権力を奪うにはまだ決め手に欠く。しばらくは糸のほころびを探すことに専念せねばならないな。  そんなことを考えながら飲む葡萄酒には、渋味ばかりが感じられた。
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