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Extra episode. 02
他愛のない日常を重ねる。
それほど尊いものを私は他に知らない。
ホテルの磨き上げられたピカピカの鏡の前で歯ブラシを咥える私の顔は、自分で言ってしまうけど不細工に寝ぼけていた。
昨日の夜に稜さんに手酷く抱かれた名残りがまだ体に蓄積されていることに不満を溜めながら、でも同時に嫉妬されて嬉しい自分もいるから恋は人を愚かにする。
「お前早起き過ぎねえ?」
「ほーでふか」
「歯ブラシ咥えながら喋んなよ」
私が起きたのに釣られて起きてきたらしい稜さんは、短い髪にぴょんと跳ねた寝癖を携えていた。
そのまま後ろから腕が伸びてきて、私を抱き締めるついでのように歯ブラシを手に取り、歯磨き粉を付けたそれを彼も咥える。
時刻は朝の9時17分。
鏡の前に並んでふたりで歯を磨く。
普通の恋人同士が当たり前に何度も遭遇するだろうそんな日常の一コマすら、私には酷く特別で贅沢な光景に思えた。
「今夜は稜さんも出掛けるんですよね?」
「ああ、舟斎が暇してるらしいから飲んでくる」
「私も友達と夜ごはんに行くので」
「弥生は実家帰んの?」
「それが…」
休暇に入る前、母親からは当然の如くいつこっちに帰ってくるのかとメッセージが入っていた。
けれど帰ってしまえば数日は実家に拘束されることが目に見えているので、今回ばかりは両親に友達と旅行に行くと嘘を吐いて帰省を中止にさせてもらった。
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