8. かぶり物の動物

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8. かぶり物の動物

 しばらくしてエイミーが気付いた時、 エイミーの頭の中は真っ白で、呆気に取られたような感じだったが、服についた甘いチョコの香りで少しずつ、慌しく過ぎていった今までのことを思い出した。  そして、急いで鏡に向かって口を大きく開けて、上の歯、下の歯、奥歯と、全ての歯をチェックした。 「ああ、良かった。 虫歯になっていない......けど、 まさか!」 エイミーはもう一つの重大な事を思い出し、 恐る恐る一歩下がり、全身を鏡に映した。 横から、後ろからと、念入りに確かめたが、 前と変わった様子はない。 「あぁ。本当に良かった」 やっと安心し、きっとデビットが許してくれたのだと、心から感謝した。  そして、エイミーはもう一つ、大切な事をはたと思い出した。 ポケットの中に入った、最後のカギの事だ。 一つ目の縞々の部屋、 二つ目のお菓子の部屋、 それぞれを思い浮かべ、次はどんな部屋か考えながら、エイミーは一番奥で光っているランプを目指して歩き出した。  そして、そのカギと同じ番号の扉に近づくにつれ次第にエイミーの表情は堅くなった。 なんとなく嫌な予感が頭をよぎったのだ。  だが、エイミーは迷わず最後のカギを鍵穴に差し込み、ひんやりと冷たい扉を開けた。  エイミーが部屋の中を覗くと、嫌な予感は見事に的中し、厳格な顔つきをして腕を組んで立っている女の人がエイミーを待ち構えていた。  エイミーは一瞬、喉の奥がヒリヒリし、 半分入りかけた体をどうしたものかと戸惑っていると...... 「遅い! 早く並びなさい!」 「はいっ!」 突然の叱責に驚いて、エイミーは声が裏返る程、大きな声で返事をし、指差された場所へ並んだ。 周りには真剣な表情をして、ダンスの練習をする女性が8人程。さっきの女の人は、 どうやらダンスの先生らしい。 そしてエイミーの横にいる人たちが生徒。 つまり、エイミーも生徒の一人になってしまったようだ。 (ダンスなんて踊れないのに......) 不安な顔を隠せないエイミーなんか見向きもせずに、髪を後ろで一つに束ねて、厳しい目をしている先生は、音楽をかけ始めた。  ありがたい事に、流れてきた音楽は、突拍子のないものではなく、ショパンの曲だった。 (この曲はたしか、『英雄ポロネーズ』ね。 ピアノの先生が弾いてくれた事がある!) 力強い出だしで、リズムは取り易いが、これに合わせて踊ろうなんて、考えた事がなかった。 なのに、エイミー以外の生徒は、いささか強引ではあったが、確かに音に合わせてタップを踏んでいる。  そして、怖い顔をした先生は淡々と端の方から一人ずつ、動きを確認している。 (隣の人の真似をして、私も踊らなきゃ) 壁一面の鏡に映っている隣の人の動きを横目で見ながら、とにかくリズムをとってみる。  エイミーがジロジロ見ているので、隣の人がチラリとこちらを向いて、目が合った。 が、嫌な顔もせず、かといって笑いもせず、 何もなかったかのように、また前を向いた。  どの位、踊り続けただろうか。 いくら長い曲とはいえ、明らかに一曲終わっているはずの時間なのに、同じ曲が果てしなく流れ続けている。  周りの生徒の年齢層は幅広く、よく体力が続くなぁと、エイミーが感心していると、窓際のカウンターに肘をついて座っていた先生がスッと立ち上がり、曲の途中にもかかわらず、プチッと音楽を止めて、足早に部屋を出て行ってしまった。 どうやら待ちに待った、休憩タイムのようだ。 (それにしても、 なんて中途半端な所で止めるのだろう) 先生の姿が見えなくなると、少し前までの緊迫した雰囲気が嘘かのように、疲れた身体を癒してくれる優しい音楽と共に、ゆったりとした時間が流れ始めた。 (今、何時だろう) 一定のリズムで吹き込んでくる爽快な風を全身に受けながら、全開の窓の上にかけられている楕円形の時計を見上げると、細い針は14時を差していた。 と思ったら、15時を差した。 (あー、もう15時か) と思ったら、17時。 (えっ17時?) もう一度見直すと、13時を差している。 (何これ) 時計は、速くなったり、遅くなったりしながら進み、そして戻り、戻ったかと思うと進んでいる。 まるで、流れている曲に合わせてダンスをしているかのように...... そして、大きく開かれた窓からは午後の柔らかい日差しがあふれるように差し込んでいる。  気がつくと、時がリズムを刻んでいるのに合わせて、エイミーの体も羽が付いたように自然と軽くなり、タップを踏んでいた。 (私、ダンス踊れたんだ) 瞼を閉じ、黒く何も無い空間を舞台に見立て、音楽に身を預けて、エイミーは気持ちよく踊っていた。  そして、曲が終わり、満足気に瞼を開けると、エイミーはさっきまで居たダンスのレッスンルームではなく、ステージの上に立ち、 沢山の拍手喝采に包まれていた。  目の前には、とても沢山の人...... いや、動物...... ではなく、 動物の大きなかぶり物を重たそうにかぶった人が、窮屈そうに席に座って、エイミーに向かって大きな拍手をしている。 そして、 この拍手はどんどん大きくなっていく。 (なんだろう、この異様な光景は) よくママと行くデパートで、風船を配っている、正直可愛いとは言えない動物......  エイミーが途方にくれている間も拍手はなりやまない。 この状況の中では、とりあえず頭でも下げて笑顔で挨拶をして、拍手に応じた方が良いだろうと思い、無表情の動物らしき物体を相手に、エイミーは精一杯の笑みを浮かべた。  すると、赤い幕がステージの上部からタイミング良く、ゆっくりと下りてきた。 (良かった......) と、一息ついた時、エイミーは中央よりやや右側に座っていたイヌに目を惹かれた。  そのイヌは、他の動物が何を考えているのか分からないが、まだ行儀良く着席しているにもかかわらず、隣に座っていたパンダに軽く会釈をした後、スッと立ち上がり、歩き出した。 (待って!) エイミーは、そのイヌに対して、無意識のうちに心の中で叫んだ。  エイミーの心の声が聞こえたのだろうか。 イヌはエイミーの方を振り向き、 大きな目でゆっくりと、ウインクをした。  そして、「EXIT」と緑色に点灯している出口に向かって、突然、猛ダッシュで走り出した。  エイミーはすぐにステージから飛び降り、 イヌの後を追いかけた。
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