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「単に上手いってだけじゃないんだ」
「朝倉陽は技術者じゃなくて表現者だもの」
「まあ天才には天才にしかわからない苦悩とかがあったのかね」
「当然あったと思うよ」
ただの音楽好きの凡人でしかない私なんかには想像もつかないような苦悩や葛藤が、きっと彼には降りかかっただろう。
「俺らと同い年だっけ?」
「そうだね、十四歳でコンクールを獲ってからもう十年以上になるんだ」
「確かに第一線で十年弾いてきたのはすげえな」
「経験値が全然違うよね」
私の言葉に頷きだけ返した甲斐くんは、景気よくビールジョッキを煽りながら煙草を吸っている。
爽やかな見た目の甲斐くんは、普段はあまり喫煙者な風に見えないけど、こうして喫煙する姿を見ると結構様になっていて格好良い。
「これから頑張るよ、信頼してもらえるように」
「成宮は前向きで偉い!」
「ちょっと頭ぐちゃぐちゃにしないで!」
向かい側の席から軽く身を乗り出して来た甲斐くんにぐしゃぐしゃと髪を乱されて憤慨する。アプリコットブラウンの長い髪は毎朝コテで巻かれて少し痛んでいる。
甲斐くんと店を出た頃には終電もない時間だったので、ひとり暮らしをしている自宅までタクシーで帰っていた私は、ぼんやりと車窓を流れる雑踏を眺めていた。
ふと、信号待ちで車体が止まった。
ラジオからは流行りのポップスが聞こえてくる。
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