Music.01:物語

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眠気でうとうと落ちかける瞼の隙間から見える夜の街角を、すっと音もなく過ぎ去って行った人影には妙に見覚えがあった。 途端に眠気を吹き飛ばした現金な私はシートに預けていた身体を勢いよく起こし、ほんの数時間前に見たばかりの痩躯の長身が向かった方角へと視線を走らせる。 ────…あれ、絶対朝倉さんだ。 「すみません、ここで止めて下さい!」 何か考えるよりも前に、身体が動いた。 運転手さんは一瞬驚いたようにミラーでこちらを確認した後、けれどすぐに道路脇に車を止めてくれて、清算を済ませる。 歓楽街の奥へと消えてしまった背中を探して宛もなく走り出す。猥雑なネオンが輝く街。夜の中に呑みこまれた世界はどこか廃退的な憂鬱を孕んでいる。 深夜に滑り込んだ今の時間ですらも渋谷の街は眠らない。黒い薄手のコートに身を包んだ朝倉さんの背中をこの雑踏の中から見つけ出すのは不可能に近かった。 「ねえ、君ひとり?」 完全に彼を見失ってしまった道の隅っこできょろきょろとしていたら、不意にサラリーマンらしき男の人に声を掛けられた。 細身のスーツが格好良い爽やかそうなその男の人は、人懐っこい笑顔を私に向ける。でもさすがに私も大人の端くれなので、これが所謂ナンパなことは心得ている。
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