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無情なほどに思い知った。
演奏の間中、涙があふれて止まらなかった。
イタリア語で『気まぐれ』を意味するカプリチオは、それまでの枠に囚われることのない自由気侭な音楽の形式を指している。
その本懐を遂げるかの如く、彼の演奏は自由を求める籠の鳥が羽ばたき出す刹那のような力強さの裏側に、不自由だった小鳥の悲壮がぽっかりと浮かんでいた。
あの瞬間に、私は夢を諦めた。
この人を越えられないなら続ける意味がない。
薄暗い会場の隅で蹲りながら泣いていた私はあの時、その才能が妬ましくて悔しくて、でも同時に朝倉陽というバイオリニストの演奏に触れられたことが酷く幸福で。
「貴方はあの時から、私の憧れです」
今でも鮮明に、耳の奥にあの時の音楽が浮かぶ。
空気を震わす音の情景。
向こう見ずな憧れだけを胸に抱いている私を朝倉さんが見つめた。灰色の美しい瞳と、綺麗な耳の形。そのどれもが狂おしいほどに特別な彼の姿を象っている。
「好き者だね、成宮さんは」
困った顔で笑って、朝倉さんは煙草を咥えた。
美しい指の先から火が灯る。
灰色をしたその瞳がどこか自嘲を孕んでいるように見えたのは、何故だろう?
「どうせ憧れるなら、もっと良い男にしなよ」
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