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この前ここで聞いた彼のバイオリンを思い出す。
踊り出しそうに愉しげな音。
心が赴くがまま歌うような、無邪気な音。
ねえ、朝倉さん。
あれが本当の、貴方の音なんじゃないですか?
「…今の話、陽には内緒にしてね」
きっと嫌がると思うから、と店長は俯いた。
私はカウンターの下できゅっと服の裾を握り込みながら、必死で涙を堪えた。
本当に、私は能天気だ。
お気楽で鈍感で思慮が浅くて、嫌になる。
朝倉さんのバイオリンの音色に、悲壮と苦悩の色が浮かんでいたことを、ちゃんと聞き取っていたはずなのに。
彼のことを知ろうともしないで、自分の気持ちばかり押し付けて、それで心を開いて欲しいなんて烏滸がましいにも程がある。
私がもっと聡い人間だったら朝倉さんにもあんな顔をさせずに済んだかもしれないのに、自分の軽率さに嫌気が差した。
「そんな顔しないで、成宮さん」
「私、彼のこと全然わかろうともしないで…」
「何言ってるの、こんなに陽のこと大事に思ってくれてるじゃないか」
店長、それ、すごい買い被りです。
私は単に朝倉さんの傍にいたら、彼の紡ぐ音楽に触れていたら、ただそれだけでとても自分が満たされて幸せなんです。
結局は、自分可愛さにしてることなの。
自分本位で、身勝手で。
朝倉さんにすればいい迷惑なだけかもしれないのに、咎められないのをいいことに、のこのこ近くに居座って。
本当に勝手なんですよ、私って。
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