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 教室の空気が変わった。多分、クラスのみんなが驚きで息を呑んだからだ。僕もその中の一人だ。もしかしたら自分が一番そうかもしれない。現に僕は、相手の顔を食い入るように見つめながら、呼吸を止めてしまっている。苦しい。    スローモーションって現実にあるとは思わなかった。彼が教室に入って、皆の前で挨拶をするこの瞬間まで、僕の時間は怖いくらいゆっくりと流れた。まるで、僕の時間が彼によって狂わされているみたいな、感覚。  彼の容貌は強く人目を引いた。顔立ちは切れ長の目が艶やかで色っぽく、形の良い唇は口角が品よく上がっている。すらっとした骨格は、程よく筋肉質で男らしい。彼の抑えようにも抑えきれない魅力が、教室中に強いオーラとなって漂っている。 「この高校の近くに祖母の家があって、そこで暮らしたくて転校してきた。名前は谷龍斗(たにりゅうと)。よろしく」  転校生ははきはきと挨拶をすると、生徒達を自信ありげに見渡した。その時、僕と目が合った。当たり前だ。こんな食い入るように見つめられたら、否が応でもそうなるだろう。だが……転校生は僕から目を離さない。まるで、僕から発せられる磁力にでも引っ張られるように、僕をまっすぐ見つめる。 (あ……)  その時多分、お互いが呼応する何かに気づいた。 (そうか……彼も……)  僕はそれにひどく胸が高鳴るが、同時に強い虚しさにも襲われる。 「席は……そうだな、麻生(あそう)の隣に座ってくれ」  担任はそう言うと、僕の顔を見た。僕は、自分の隣の席が空席だということに今日初めて知った。どうやらまた1人、クラスメイトが転校したらしい。  谷は言われた通り僕の隣の席に座った。こんな偶然、青春漫画のベタなワンシーンだと心の中で呆れる。 「あ、よろしく。僕は麻生晟一(あそうせいいち)」  僕はぶっきらぼうに名前だけを言うと、素早く前を向いた。直視できない。顔を合わせてしまったら、また僕はこの男を食い入るように見つめてしまう。 「よろしく。分からなこととか色々教えてほしいな」  谷はそう言うと、僕の顔を覗き込もうとするから、僕はわざとらしく机の中から教科書を引っ張り出すと、黒板の一点を見つめ続けた。  1年後に世界は滅亡する。大量の隕石が地球に降り注ぐからだ。世界の名だたる研究者たちが必死に頭を使って人類の終焉を阻止しよとしたが、隕石の落下の事実に気づいてからの時間が短すぎて、最早成す術はない。それは、物凄い金持ちの財力を持っても同じで、宇宙船を使って火星やそれ以外の人間が住めそうな星に飛び立てたとしても、そこで生活する環境を整える時間などない。既に世界中の人間たちは、この事実を受け入れ、残りの人生を死の恐怖と戦いながらも、悔いのないよう生きようと努力している。やりたかったことにチャレンジしたり、好きな人に告白したり、自分の性的指向をカミングアウトしたり。  世界滅亡を知らされて以降。世界の犯罪率は劇的に減った。世界中のすべての人間が、世界滅亡という名の列車に乗ったことで、皆が一斉に平等になったからだ。  自分がゲイだということを、僕はまだカミングアウトしていない。勇気がないからではない。あと1年しかない人生で、それをする意味がないと思うからだ。自分が誰かに恋に落ちることも、その相手が自分を受け入れることも。そんな奇跡など起こるわけがないと、さっきまでそう思っていた。でも、僕は今日意味を見つけてしまった。それは、心が躍るほど嬉しいのに、やっぱり同じくらい心が沈むほど虚しかった。
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