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翌日にはもう、僕と谷はぽつりぽつりと会話を始めた。『シャーペン貸して』と谷から声をかけられたのがきっかけで。
二日後には、弁当を一緒に食べる仲になった。谷は祖母の家に一人暮らしで、弁当は自分の手作りだった。見た目はあまりうまそうではなかったが、一個貰った唐揚げは、ニンニクが効いていて美味しかった。
三日後には、帰り道が偶然一緒だったから、その日から毎日谷の家まで自転車で一緒に帰った。ある日の帰り道、谷から、『今度の日曜日にうちに遊びに来ないか』と誘われた。出会ってまだ数週間しか経っていないのに、僕たちはまるで2倍速で生きているみたいに、急速に距離を縮めた。
日曜日。僕はこの小さな港町の、海岸沿いの堤防を自転車で走っている。今日は朝から猛暑で、空からの日差しと海からの生温かい風が、僕の体を容赦なく消耗させる。僕は、眩しく揺れる海面に目を細めながら、何を期待しているのか、高鳴ってしまう心臓のままペダルをこいだ。
谷の家に着くと、谷は庭の植物に水を撒いていた。色とりどりの花の上に撒かれた雫が、夏の太陽に照らされてキラキラと輝いている。
「おはよう。待ってたよ」
谷はそう言うと、水道の蛇口をきゅっと捻った。谷の祖母の家は、昭和の時代に建てられた、古びた平屋の一軒家だ。
「綺麗だね……これ向日葵?」
僕は向日葵ぐらいしか花の知識がないから、大きな黄色の花を指さしてそう言った。
「そうだよ。頭が重くて、かなり猫背だな」
谷はそう言いながら、向日葵の頭に手を添えた。
「暑いから中入ろう。エアコンはないけど、扇風機ならある」
「いつの時代の話だよ」
僕は、笑いながらこれ見よがしにため息を吐くと、谷の後をついていった。
谷は天涯孤独だ。両親を事故で亡くしたのを機に、母親の実家であるこの家に越してきた。兄弟もいない。生活費や学費は、両親の事故による保険金と、駅前にあるファミレスのアルバイト代で賄っている。ここに越してきたのは、小さいころ、お盆の里帰りの記憶が、谷にとってかけがえのない記憶として残っているからだ。青い空と青い海。そこで経験した祖母との記憶が、谷の郷愁となって、深く心に刻まれている。
(人生の最後はこの場所で……)
皆、人生の最後の場所を必死に探している。徐々に減っていくクラスメイト達は多分、ここではないどこかで最期を迎えようとしている。それは人それぞれ。僕は特にどこでもいい。
「何か飲む?」
年季の入った冷蔵庫から、麻生がコーラの瓶を2本取り出し、僕に差し出した。僕たちはコーラを持って縁側に座ると、谷が扇風機の首を自分たちの方に向けた。
「一人暮らし寂しくない?」
僕はそれが気になって、コーラの炭酸に顔をしかめながらそう尋ねた。
「寂しくないよ。だって今、俺には麻生がいる」
谷はコーラの瓶を口につけたままそう言うと、僕を横目で見つめた。
「あ、そう、なのかな」
僕は一瞬で顔が赤くなるのを見られたくなくて、慌てて下を向いた。
「そうだよ。俺初めて麻生を見たとき、胸がかーって熱くなって、思わず叫びそうになったんだ」
「叫びそう? って何を?」
「やっと見つけた! って」
(同じだ……僕も同じだ……)
谷はコーラの瓶を縁側に置くと、僕ににじり寄ってくる。タンクトップの剝き出しの二の腕には、うっすらと汗が滲んでいる。
「夢にまで見た理想の相手にやっと会えたんだ。麻生を見たとき、嬉しかった……すごく」
谷はそう言うと、僕の横にピタリと寄り添った。
「あ、暑いよ……」
僕はわざとそっけないことを言って、自分の体を谷から離そうとした。でも、内心は自分もそうだと伝えたいのに、胸がつまってしまい言葉が出てこない。
「麻生も同じ? 俺と……」
谷は僕の両肩を掴むと、自分の方に僕の体を向けさせた。僕より背の高い谷は、僕を簡単に見下ろすし、僕はそんな谷を、跳ね上がる心臓とともに見上げる。
「同じだよ。僕もすごく、嬉しかった……」
気持ちを伝えられて安堵する。でも、喜びに包まれれば包まれるほど、胃の奥から喉元へ、仄暗い焦燥感が這い上がってくる。
「そんな顔するなよ。俺は麻生の笑顔が好きだよ。リスみたいに可愛くて」
谷は、僕の顎を人差し指の甲で持ち上げると、唇が触れるだけのささやかなキスをした。
「は……」
僕は驚いて口をポカンと開けた。そんな僕の唇に、またひとつ谷はキスを落とす。
「もしかして初めて?」
谷は魅力的な口角を、片側だけつり上げて僕に尋ねた。
「はっ、初めてで、わるいかよ」
僕は格好悪いほどしどろもどろになる。
「違う。良かった……俺も初めてなんだ」
「え! 何だよ、もう!」
僕はカッとなって両手で谷の肩を叩こうとしたが、簡単に手首を掴まれてしまい、そのまま僕は、谷の腕に強く抱きしめられた。
「好きだよ。麻生……今日泊まっていける? 俺たちにはもう時間がない」
さっきまでの余裕とは裏腹の谷の態度に、僕は、体の内側から、とくとくと熱いものが込み上がってくるのを感じた。
「ああ、ないよ。全然ないよ。僕も好きだよ。谷が好きだ……」
僕たちは深く見つめ合うと、汗と唾液が混じり合ったキスを、無我夢中で求め合った。
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