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転生
先日から急な高熱で寝込んでいる辺境伯の息子、レイの様子を見るため、専属メイドのクラリスがレイの寝室の扉をゆっくり開けた。部屋の中は、堂々たる領主の屋敷にしては随分と質素な風景に見える。
その片隅に置かれた黄色く薄汚れたベッドの上に、レイがうなされながら眠っていた。額には汗が滲み出ていて頬は赤く、苦しそうに顔を歪めている。息が荒い。
クラリスはレイが死んでいないことを確認すると、トレーに乗った食事をテーブルに置き、そそくさと部屋を後にした。
レイが寝込んでから、一日三回の食事の配達を命じられた彼女は当初、真面目に一日三回食事の配達をしていた。しかしこれが十日も続いてくると、徐々にサボりの心が芽生えてきて、一日二回になり、ついには昼時一日一回の食事の配達になってしまった。
これがレイの弟、ルドが高熱で寝込んだとなれば話は別だろう。
弟のルドは十歳で行うスキル授与式で「賢者」という百年に一人と言われる強力なスキルを授けられ、兄に代わって次期当主として王都の学園に通っている。
もし寝込んだのがルドであったなら、屋敷中のメイドと執事を総動員させ、つきっきりで看病に励むことになっていただろう。
それほど兄弟間で扱いの格差がある。
今も寝込み続けているレイの授けられたスキルは「演劇」。主に舞台役者などが保持しているスキルで、演技が他人より上手くなるというだけのスキルである。
スキル至上主義であるブラッド家の跡取り息子としては不十分すぎるスキルで、なおかつ弟が「賢者」という、魔法使いなら誰でも憧れるスキルを授けられたことが発覚したので、レイは落ちこぼれとして家族にも使用人にも蔑まれた扱いを受けているのだ。
「あぁもう。そろそろ死んでくれないかしら。もうあの部屋に行くのは嫌。埃まみれで汚くて、体調が悪くなりそうだわ」
レイの部屋に入った後のクラリスは必ず同僚のメイドに愚痴を漏らしていた。
クラリスはレイの専属メイドになったことで、使用人たちの間で馬鹿にされていて、それを払拭するためにレイの悪口を言うことで少しでも自分の評価を上げようと躍起になっていた。
「あんたもよく毎日お世話できるわね。私だったら恥ずかしくて使用人辞めてるわよ」
「私だってやりたくてやってるわけじゃないのよ? 領主様のご命令だから仕方なくお世話してあげてるの。今回だって、きっとただの風邪よ。風邪であんなに寝込むなんて、ほんと軟弱な身体。あぁ、私の辛抱強さを領主様にもっと評価してもらいたいものだわ」
レイが寝込んでからというもの、クラリスの悪口が何倍にも増えた。水を得た魚のように、病気になった貧弱さを嘲ることが増えたのだ。
そんな嘲笑の対象になっていることはつゆほど知らず、発熱にうなされているレイの身体は限界に達していた。
もう何日もまともな食事はとっておらず、唯一の栄養源はメイドが持ってくる使用人たちの前日の食べ残し。ひどい時は料理されていない、食材そのものを持ってくることもあった。
そんな生活を一ヶ月ほど過ごしたレイの身体は痩せ細り、水分は発熱の汗で押し出され、いつ死んでもおかしくない状況にある。
レイは死の淵で、黒くドロドロとした怨念の炎を高々に燃やしていた。自分はなぜこんな不当な扱いを受けなければならないのか。なぜスキルだけで人間の価値が全て決まるのか。
父親、弟、使用人、領民、自分が知る限りの周りにいる全ての人間を強く呪った。強く、強く、自分の全てを絞り出して呪った。
胸の辺りが一瞬熱くなり、そしてどんどん冷たくなっていくのを感じる。直感的に、これが死ぬ感覚なのだと悟った。荒かった呼吸が徐々に静かになる。
目は瞳孔が開いたまま乾きだし、タンパク質不足の身体から意識が遠のき始めた。必死に身体の中の自分を繋ぎ止めようとする。
しかしベッドの上での生活で意識の筋肉も衰えたのか、うまく自分を引き戻せない。生と死の境目を彷徨うとはまさにこういうことなのだろう。
レイの瞳に最後映ったものは、手入れされていない白タイル調天井の黒ずみだった。
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