まねいた猫の話

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家に帰るとリビングのテーブルに招き猫がいた。 「どうしたのこれ」 木谷戸かなめは先に帰宅していた弟の葉々季に聞いた。小学五年生の弟はよくぞ訊いてくれましたとばかりにピョンとソファから立ち上がってテレビショッピングのキャストのように大きな身振りで招き猫を紹介する。 「おかえり姉上。待ちわびていたよ。早く見せたくてこれを持って迎えに行こうかと思っていたくらいだ」 「招き猫を抱えて迎えに来られても反応に困るから思い止まってくれてよかったよ」 「?いや、丁度今から出かけようとしたところだったんだ。思ったより早く帰ってきてくれたというだけさ」 こいつが奇行に走る前に帰ってこれてよかったとかなめは胸を撫で下ろした。 「それで、結局どうしてうちに招き猫があるのよ。買ったの?貰ったの?」 よく見かけるものよりも随分ふくふくしい。ついお餅とか大福とかを連想してしまうくらいにふくふくとしていた。 「いや、預かったんだ」 「預かった?誰からよ」 「クラブの顧問の先生からだよ。出張で数日家を空けるからその間面倒をみてくれないかってね」 招き猫の面倒をみるとはいったい……。飼い猫を預かるならまだしも、無機物の招き猫をどうしろと。もしやクラブの顧問とやらは葉々季をからかったのだろうか。 かなめが悶々としていると、兄弟の最後のひとりが帰ってきた。 「何やってんだお前ら。……って、どうしたんだその招き猫」 見るからに不良な長兄が招き猫に気づいてかなめと同じ反応をする。 「おかえり兄上」 「おかえり番長」 「おう、ただいま。……じゃなくてだな、買ったのか?どっかから貰ってきたのか?」 「私と同じことをいうのね」 「誰だろうとだいたいそう言うと思うぜ」 「ふっふーん。預かってきたのさ」 何故か得意気に胸を張る小学五年生。 「生き物なら事前に了承を得るべきだが、この子ならいいだろうと思ってね」 確かに邪魔になるほどの大きさではないし、生き物のように世話も必要ないだろうから、特に反対する理由もない。 「別にいいけどよ。くれぐれも壊すなよ」 長兄の扇もかなめと同意見だったようで、それだけ言うと夕飯の支度をするべくキッチンに向かった。喧嘩やトラブルに巻き込まれやすい性質で、暴力が得意な不良少年である扇の趣味は料理だった。切った張ったの世界に居ると切ったり焼いたり煮込んだりが自然と身につくのだろうか。知らんけど、とかなめはテキトーに思っていた。かなめが手伝うと手間が二倍になると苦情を入れられたので、食事は適任者に任せている。 「じゃあ、私は着替えてくるから」 兄姉に招き猫を見せて満足げな弟にそう言ってかなめも自室に戻った。 その日の夜。 水でも飲むかとキッチンに下りたかなめは消灯されて暗い空間からガサゴソと物音が聞こえてくるのに気づいた。 「な……なに?誰かいるの?」 恐る恐る声をかける。暗闇からの物音はピタリと止み 「ニャ、ニャーン……」 「なんだ猫か。…………って猫ぉ!?」 仰天して勢いキッチンの電気を点ける。 冷蔵庫を漁る招き猫がLEDライトに照らし出された。ふくふくとした体躯は見紛うことなく弟が預かってきた招き猫だ。招き猫はかなめの方を振り向いて焦りの表情で固まる。かなめは目の前の事象に理解が追い付かず驚愕で固まる。交差する視線。交錯する思考。 かなめは人生で初めて、 「ど、泥棒猫ー!」 と叫んだ。 「吾輩は怪しい者ではない。由緒正しく御利益溢れる招き猫である」 長兄、扇に首根っこを掴まれた招き猫はふてぶてしく言い放った。かなめの叫び声で駆けつけた兄弟の片割れである葉々季はキラキラした目で招き猫を見ている。 「すごいや!先生の言った通り生きてる!」 それを聞いた扇は空いているもう片方の手で葉々季の首根っこを掴んで持ち上げる。 「おい。お前、知ってたのか」 「そうとも!半信半疑だったがもし本当ならすごくびっくりするかなって思って黙ってたんだ!ドッキリ大成功だね!」 かなめは無言で葉々季にデコピンする。 「あ痛っ」 「止めたまえ小娘。そこのちびすけは悪くなかろう」 「滅茶苦茶偉そうだなこいつ」 「大体、悪いのはおぬしだぞ小僧。あんなに美味そうな料理を目の前に並べられては我慢しようにも腹が減るというもの。驚かさぬよう夜闇に紛れてつまもうとしたら小娘が来よるし」 文句を垂れる招き猫。 「人ん家の冷蔵庫漁って偉そうにしてんじゃない」 「まだ何も手をつけとらんわ」 器用に口を尖らせた招き猫のお腹がグーっと鳴った。 「ニャーン……」 「媚び慣れてるなこいつ。あざと過ぎやしねえか。なんだかこっちが悪いような気がしてきやがる」 お腹を空かせた招き猫を放置するのは良心が咎めたので夕食の残りを温め直して提供することになった。熱々のグラタンをスプーンを使って器用に食べる招き猫にかなめは訊いた。 「人間の食事って大丈夫なの?」 「ふっ。吾輩を甘く見るでない。ネギだろうがチョコレートだろうが供物であれば美味しくいただくわ。そこいらの猫とは格が違う」 ハフハフと頬張りながら招き猫は答えた。 「そも、吾輩は猫神の命によって猫界の平穏を司るありがたい存在ぞ。若かりし頃は魚売りから略奪を繰り返し、大層恐れられていたものだ」 「お魚くわえたドラ猫じゃない」 「だが、人間どもも知恵が回る故、我らを迫害するようになった。このままでは猫全体のイメージダウンに繋がりかねぬと危惧した猫神は畏怖の象徴たる吾輩を封じたのだ。泣いて馬謖を斬る思いであったろうよ」 それは単に厄介払いをしたかったのではないかとかなめは思ったが、葉々季は「そんなことが……」と真剣に話を聞いている。素直で純粋なのは長所だが、将来詐欺とかに遭わないだろうなと心配になってしまう。扇は途中からもうどうでもよくなったようでお茶を淹れている。 「吾輩のもとには日々困り事を抱えた猫が知恵を借りに集う」 そこで招き猫はスプーンで玄関の方角を指す。 「ほうら、来たぞ」 「ちょっと見てくるよ!」 「あ、葉々季」 かなめが止める間もなく葉々季は玄関に走り、ドアをそっと空ける。隙間から覗くと三匹の仔猫がちんまりと待っていた。黒、白、三毛の三匹はドアが開いたことを見てとると声を揃えて鳴いた。 「夜分に申し訳ありません」 「こちらに招き猫のお方がいらっしゃると耳にし馳せ参じた次第」 「ご迷惑と存じますがお取り次ぎをお願いできないでしょうか」 すこぶる丁寧な言い回しで頭を垂れる。 「わあ驚いた。この猫も喋ってる!」 「近頃の猫は喋るようになったのか。時代の流れってすげえな」 葉々季の後ろから外を見た扇は世の中不思議な事もあるもんだと深く考えるのを止めた。 一方リビングではグラタンを完食した招き猫が「食べたら無くなった……」と空の皿を寂しそうにに見つめていた。 ちらっ、とかなめの方を見て、 「おかわりは……」 かなめは聞き流して皿を流し場へ下げた。 「ああっ、無体な」 一気に三匹増えたリビングに集った一同。 「して、お前たちはどうしたというのだ」 葉々季の膝の上に乗った招き猫が尊大に尋ねる。 「招き猫さまにお願いがございます」 「見ての通り、私共は幼い仔猫でございます。自らの力では糧を獲るのも難しく、母猫に頼る日々です」 「早く一匹の自立した猫として恩返しをしたいと考えているのですが、数日前に母猫が行方知れずになったのです」 「ほほう。さてはお前たち見限られたなあ痛ッ」 「滅多なことを言うんじゃない!」 ぺしんっ、とかなめは招き猫の額を叩いた。扇は肌触りのよい毛布を持ってきて仔猫をそこに包んだ。 「いえ、招き猫さまの仰ることはごもっとも。野良の身で三匹を育てるのは至難と心得ております」 「ですが、母猫の猫柄を鑑みるといささか疑問が残っているのです」 「母猫が心機一転新しい猫生を送ると言うのであれば意思を尊重したいと思うのですが、もしも不慮の事故や事件に捲き込まれてしまっているのであれば一刻も早く駆けつけたいのです」 なのでどうかお力をお貸しくださいませと平伏する。 「うむうむ。お前たちの気持ちは分かった」 三匹の嘆願に鷹揚に頷く招き猫。心情的にすっかり仔猫の味方になったかなめは招き猫をつつく。 「どうするのよ」 「占う」 「占う?」 「地図を持ってまいれ」 「いや地図とか無いけど」 「なんだとう」 それならタブレットに地図を表示したらどうかと葉々季が提案する。 卓上のタブレットを囲んで招き猫が三匹にねぐらとしていた場所を聞き取る。そして周辺地図を出し、どこからか取り出した砂金をひと粒、軽く放る。 「とりゃ」 一同が見守る中、砂金はコロコロと転がってある一点で止まる。更にそこを拡大してもう一度同じ手順で転がす。何度か繰り返すと一軒の住宅を砂金が示した。 「ふむ。ここだな」 「そんなあっさり!?双六感覚で投げてなかったあんた!?」 「失礼な!吾輩の占いの精度は99.9%ぞ」 「残りの1%は?」 「世の中に絶対はない。それよりもこの地図の家に母猫はおるようだ。ついでだ。ほれ、誰か電話を貸せ」 葉々季のスマホの電話機能を立ち上げ、またもや砂金を放る。 「ほい、ほい、ほいっと」 出た数字をタップ。数コール待つと相手が受話する。 「あとは任せた」 招き猫は自分の役目は終わったとばかりに欠伸をして、扇に小腹が空いたと催促している。 「こんな時間にすみません。実は今、猫を探していまして――」 電話の向こうの相手とやり取りをする葉々季。かなめは三匹の仔猫を撫でる。 「よく分かんないけど……なんとかなりそうで良かったね」 猫に小判は役に立たないようだけれど、招き猫に砂金は使い途があったらしい。 電話を切った葉々季が晴れやかな顔で報告する。 「明日会う約束取りつけられたよ!その人はお母さん猫があまりに可愛かったから飼うことにしたらしい。けれどその猫はずっと窓の外を眺めたり、ドアや窓の隙間から抜け出そうとしているようだよ。きっと探しに行こうとしていたんだね」 「そうでしたか」 「一安心しました」 「お手間を取らせました」 黒、白、三毛は口々に礼を言い、安堵の表情を浮かべる。 翌日、三匹は無事に母猫と再開を果たし、そのまま引き取られる運びとなった。見送った帰り道、かなめは心配事を口にする。 「新しい家でもしゃべるのかしら、あの仔猫たち」 「その心配は無用だ」 葉々季に抱えられ、置物のフリをしていた招き猫は鼻を鳴らした。 「吾輩の猫力で自動翻訳していただけだ。いくら話そうが飼い主にはニャーニャー鳴いてるようにしか聞こえん」 「へえ。そんなもんなんだ」 「そんなもんだ。そんなことより今日の夕飯は何だ」 「はあ?まだ居座る気なの?」 「姉上、先生が出張から帰ってくるまでは預かる約束だからね。今日のメニューは中華料理だって」 「ほっほーう。それは楽しみだ」 じゅるりと舌舐りをする招き猫。よほど長兄の料理がお気に召したようだ。楽しそうな弟と招き猫に水を指すのも大人げないかとかなめは思った。預かった手前、追い出すのも憚られる。 「まあ、数日なら仕方ないか」 その日の夜、かなめは前言撤回する。 「招き猫どの、どうかお知恵を拝借したく!」 「毎日来るの!?」 「吾輩は招き猫ぞ?客を招かずしてどうするのだ」 「また占いを見てみたいな!」 期待に目を輝かせる弟と、我関せずと明日の仕込みをしている長兄。招き猫を返すまでの数日間がかなめにとっては数年にも感じられたのだった。
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