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決断
飛び出した先は夕暮れの色に染まりかけていた。
鮮やかな緑を茂らせた木々に赤みを増した日の光が強く差す。旅慣れたトレンスキーでさえ一瞬戸惑うほどの眩しさだった。
「アンティ、どこじゃアンティ!?」
トレンスキーが周囲を見回しながらアンティの名を呼ぶ。その顔は焦燥に引きつっていた。
招来獣の多い地帯は抜けたと思っていた。
昼間にあれだけ”還した”のだから大丈夫だろうと。
そう思い、ラウエルを行かせてしまった判断を大きく悔やんだ。
湧き上がる悪寒を抑えるように両腕を抱えると、トレンスキーは強く目を閉じて周囲の音に耳を澄ませる。
荒い鼓動を押さえつけると、葉擦れの音にまぎれて何かの声が耳に届いた。
細く、長い、悲鳴にも似た響きだった。
弾かれたように顔を上げたトレンスキーは声のした方向、西陽の光が迫る茂みの中へと飛びこんだ。
わずかに聴こえた声は、人間のものよりも獣のそれに近かった。そうして、小屋を出てゆく前に見せたアンティの様子。不安に急き立てられながらトレンスキーは足を進めた。
すぐ近くで、金属のぶつかる音が響いた。
「……アンティ!」
木立を抜けたトレンスキーの目が眩しさに細められる。
夕陽を受けて光る刃先が見えた。
腕を大きく振り上げたアンティがその切っ先をキツネモドキへと向けていた。厚手のナイフがキツネモドキの額に躊躇なく突き立てられる瞬間がトレンスキーの目に焼きつく。
赤焼けに染まる二つの影が地面に転がった。
アンティは引き抜いた刃を返してキツネモドキの胸を深々と刺した。核を貫いたのだろう、キツネモドキの姿はぼろりと砕けて塵になる。
すぐに立ち上がったアンティが獣のように低く駆け出す。その先にいるのは牙を剥くもう一体のキツネモドキだった。
キツネモドキの攻撃に怯むことなくナイフを構えると、アンティは灰色の毛皮に飛びかかってその刃を振り下ろした。ぴたりと胸に狙いを定めた鋭い一撃。けたたましい悲鳴が上がり、あっという間にもう一体のキツネモドキまでもが塵へと変わる。
目の前で繰り広げられる光景にトレンスキーは呆然と立ちつくした。
人間離れした身のこなしと、核を狙った的確な剣さばき。
本来であればそれなりの知識がなければ対処できないはずの招来獣たちを、小さな子どもが目の前で楽々と屠ってみせたのだ。
獲物がいなくなると、アンティは息を整えながらナイフを握った腕をだらりと下げた。トレンスキーがその背中に駆け寄る。
「だっ、大丈夫かアンティ、怪我はないかっ!?」
トレンスキーの声に反応したアンティが振り返り、ゆっくりと顔を上げた。
金色の瞳には理性とはかけ離れた、濁ったような光が宿っている。それを見たトレンスキーは気圧されたように動きを止めた。
トレンスキーの姿に焦点が合うとアンティはきょとんと目を丸くした。
手にしていたナイフがぱたりと落ちる。
「……はい、大丈夫です」
アンティは小さく答えた。
その顔は昼間出会った時と同様の、無垢で大人しげな子どもの表情に戻っていた。
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