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招来術師たちの会話
フィリエル領南部にグルナ山という山がある。
南接するメルイーシャ領との境にもなっている山であり、そのふもとにはある建物が建てられている。
そこは、フィリエル招来術工房と呼ばれていた。
グルナ山を背にして並ぶ三棟の建物。馬場や修練場も備えたそれは、学舎というよりは砦にも似た堅固な施設だった。
その内の一つ、東棟の廊下を一人の青年が歩いていた。
汚れた旅装束と大きな四角い旅行鞄。襟元には昼顔の花を模した金のバッチが留められている。背は高く、髪の色は濃いめの金色をしていた。
青年の足元にぴたりとついて歩いているのは黒猫だった。尾は長めで、つやつやとした毛並みは動くたびに軽やかな光を映している。
廊下で人とすれ違うたびに、青年は朗らかな笑顔で挨拶をする。その反応は様々だった。無言でうつむく者、煩わしげに顔を背ける者。この世の終わりのような顔で立ち去ってゆく者。
みな青年と同じ二十歳そこそこかやや年上くらいの男たちで、その襟には金の花の飾りをつけていた。
やがて青年は一つの扉の前にたどり着いた。
大きく二回扉を叩くと、青年は笑顔で部屋の中へと入った。
「失礼します、トビア様!」
そこは広めの執務室だった。窓を背にして大きな執務机が備えられ、インクやペンや書類の束が整然と置かれていた。
「……ノックしたのなら、返事をするまで待ってください」
机の前にいた人物がうんざりしたように顔を上げた。その右手には黒いインクのついたペンが握られている。
「まったく、おかげで書き損じてしまったではないですか」
「あはは、申し訳ありません」
青年は謝るものの、その表情に悪びれた様子はない。トビアと呼ばれた男は大きく息を吐いた。
麦わら色の短い髪と物憂げな濃茶の瞳。年はもう三十に近いはずだが、小柄な体と顔に散らばるそばかすが青年とさして変わらぬ年齢のような印象を与えてしまう。
黒猫を連れた青年は扉の前で改めて挨拶をした。
「エミリオ・フェルン・ナーハトージャ、ただいま帰還しました!」
「はい、お帰りなさい」
トビアはペンを置いて軽く首を回すと、エミリオに目を向けた。
「生きて帰ってこられて何よりです。……報告書は?」
エミリオは床に置いた旅行鞄から紙の束を取り出すと執務机に近づいた。
「こちらです」
「拝見します。少し話がありますので、読み終えるまでしばらく待っていてください」
「了解しました」
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