二つの国と二人の術師

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 午後の気温が最も上がる頃、三人は村の入口にたどり着いた。  汗ばんだ顔を布で拭いながら、トレンスキーは不思議そうに村を見回した。 「……思いのほか、(さび)れとるのう?」  こんなにも良い陽気だというのに外で遊ぶ子どもの姿は一人も見えない。洗濯物は既に取りこまれた様子だったし、遠くに見える畑からも話し声ひとつ聞こえてこなかった。 「とりあえず、宿を探すとするか」  一行は半分閉められた門から村の中へと入った。門の両端に掛けられた翼の紋様が彫られた飾りをアンティは不思議そうに眺める。 「あれは何ですか、師匠(せんせい)?」 「ああ、あれはフェーダの司祭が作った招来獣(しょうらいじゅう)除けじゃ。『知らぬ者に見えず、只知る者にのみ与えられん』じゃな」  教典の一節をトフカ語で呟いたトレンスキーは村を見回すとオレンジ色の屋根をした建物に近づいた。吊るされた看板には宿と食事処の印が描いてある。  扉を開こうとしたトレンスキーは顔を曇らせた。  鍵がかかっているのだ。 「失礼する、どなたかおられるかー!」  トレンスキーは扉を大きく叩いて声を上げた。  少し待つと、扉の奥から急いで駆けてくるような足音が聞こえた。若い男の声が扉越しに響く。 「お、お帰りなさい、ご無事だったんですね……!」 「え、いや……?」  鍵を開けて扉を開いたのは栗色の髪の、まだ少年とも呼べそうな年頃の若者だった。薄茶の瞳がトレンスキーたちの姿を見て軽く見開かれる。 「あ、すみません。人違いでした」  青白い肌に落胆の表情を浮かべた若者は、気を取り直した様子でぎこちない笑みを三人に向けた。 「旅の方ですね。その、あまりおもてなしはできないかもしれませんけど、……大丈夫ですか?」 「構わぬよ。閉店しておるのに押しかけてしまって、こちらこそ申し訳ない」 「では、ご案内しますね」  若者はトレンスキーたちを招き入れると、灯りを入れていない食事処を通り抜けて奥に続く廊下を歩いた。  廊下の途中まで来たところで、若者ははたと思い出したようにトレンスキーたちを振り返って言った。 「あの、ベッドは一部屋に二つなんですけど。二部屋使われますか?」  それならすぐに掃除をするから少しだけ待ってもらいたい、と若者は申し訳なさそうに伝えた。  トレンスキーはラウエルに目を向ける。ラウエルが小さく首をかしげるのを見ると若者に向き直って言った。 「いや、一部屋で構わんよ」 「そうですか、ありがとうございます」  通されたのは広々とした部屋だった。両脇には整えられた寝台が置かれ、部屋の中央には花瓶が置かれた円卓と木椅子が備えられていた。  若者がカーテンを開くと明るい日差しが部屋の中に差し込んだ。トレンスキーとアンティが揃って感嘆の息を吐く。 「これは良い部屋じゃのう」 「うちの宿、部屋は二つしかないんですけど。そう言ってくださる方がとても多かったんです。えっと……」  若者は少し声をつまらせると、空の花瓶を手に取った。 「すぐにもう一脚椅子を用意しますね。それからお湯の用意をして、……お食事も簡単なものでしたらお出しできるかと思います」 「い、いやいや、そんな……」  あまりもてなせないどころか、至れり尽くせりな対応にトレンスキーの方が恐縮する。それを聞いていたラウエルが唐突に若者に声をかけた。 「アップルパイはないのだ?」 「アップルパイですか?」  若者が目を丸くする。  顔を強ばらせたトレンスキーの横でラウエルは大きく頷いた。 「こんなに近くでリンゴが採れるなら、きっと良いアップルパイが作れるはずなのだ」 「お主、自分の好物になると途端に図々しいの!」  トレンスキーが遮るようにラウエルの服を強く引っ張った。 「それに季節というものを考えるのじゃ、さっき見てきた木も全然実をつけてなかったじゃろ!?」 「だが、メルイーシャの店には年中置いてあったのだ」 「そういうのは季節外れという理由で大抵ものすっごく値が張るのじゃ、この都会っ子め!」 「師匠(せんせい)、アップルパイとは何ですか?」  若者はぽかんとした顔で三人の会話を聞いていたが、やがて小さく吹き出して言った。 「……作りましょうか、アップルパイ?」 「え!?」  三人の目が一斉に若者の方を向く。 「保存用に漬けてあるリンゴが残ってます。また少ししたら新しいものが出回りますし、よかったら」 「感謝するのだ」  真っ先に答えたのはラウエルだった。トレンスキーが何かを言う前に、若者は小さく会釈をして部屋を出ていってしまった。 「……も、申し訳ないのう。無理を言った上に気を遣わせてしまったようじゃ」  頭を抱えたトレンスキーは改めて部屋の中を見回す。これは宿代に色をつけるしかないと決めると、気分を切り替えるように二人に言った。 「とりあえず、荷物を置いて落ち着くとするか」
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