対峙

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 制止する間もなく、アンティはオオカミグマの背に足をかけた。弾みをつけて跳躍(ちょうやく)すると、その横首に向かって鋭く得物を振り下ろす。  ラウエルが珍しく強い語調で声を上げた。 「それでは核まで届かない、離れるのだ!」  オオカミグマが怒りながら身をよじる。その腕に弾かれる前にナイフを引いたアンティは距離を取って二太刀目を構えた。  ラウエルが白鴉に転じて退かせようとするが、(つた)を引きちぎったオオカミグマもアンティを一番の敵と認識したようだった。他の者には目も向けず、辺りの枝を折り倒しながらアンティの姿を追う。  アンティは金色の目を光らせながらオオカミグマの攻撃をかわし、硬い毛皮にいくつもの斬撃を浴びせてゆく。その姿を見たゲルディークが戸惑いの声を上げた。 「お前の弟子どうなってんだ、トレンティ?」 「い、いいからお主は次の準備じゃ! アンティはワシらで何とかする!」  言ってトレンスキーは右腕の篭手に視線を落とした。 (……使うべき、か?)  しかしオオカミグマとアンティとの距離が近すぎる。  トレンスキーは苦い表情を浮かべて腕を下げると、頭上を飛ぶラウエルを仰いだ。 「まずアンティを止めたい、何とか隙を作れるか!?」 「心得たのだ」  白鴉は翼を伸ばすと、鋭い飛行でオオカミグマに迫った。  威嚇するようにオオカミグマの顔面を何度もかすめると、オオカミグマの方も苛立ちの声を上げて頭上へ牙を向けた。  オオカミグマが白鴉に注意を向けると同時に、トレンスキーは大地を蹴ってアンティに駆け寄った。 「アンティ、止めい!」  体ごとぶつかるような勢いでトレンスキーがアンティの両肩をつかむ。  ぎりりと歯を嚙みしめたアンティが獣のように小さくうなった。その呼吸は荒く熱い。金色の瞳には普段にはない強い敵意が渦巻(うずま)いていた。 「落ち着けアンティ、攻撃を止めよ!」 「あれは敵です。(たお)さなければ……!」 「いいや、敵ではない」  ナイフを握るアンティの手をトレンスキーが素手の左手で押さえる。 「大丈夫じゃ、すぐにゲルディークがあやつを封じる。そうしたら、ワシが必ずあやつを”(かえ)す”からな」  その言葉に、アンティが怪訝(けげん)そうに動きを止める。金色の目がようやくトレンスキーの姿を映し出した。 「かえ、す……?」 「そうじゃ、それですべてが収まる」  トレンスキーはアンティに目を合わせて、大きく頷いた。 「これ以上誰も、傷つく必要も、傷つける必要もない。だから今はいったん退くのじゃ。……良いな、アンティ?」  ゆっくりと、穏やかに、落ち着かせるようにトレンスキーが語りかける。  アンティはぽかんとしてトレンスキーを見つめる。しかし何かを言う前に、その背後に視線を移して小さく息をのんだ。 「師匠(せんせい)、後ろ……!」 「避けろ、トレンティ!」  ゲルディークの声が遠くから響く。  切迫したその声にトレンスキーの表情が強ばる。視界に影が差した瞬間、とっさにアンティを庇うように抱きかかえた。  左肩に、息が止まるほどの衝撃と熱が走る。  振りかぶったオオカミグマの爪にかかり、トレンスキーは茂みの中へ強く弾き飛ばされた。 「……せ、師匠(せんせい)、大丈夫ですか?」  トレンスキーの腕の中でアンティがおろおろと声を上げる。  つまった息を吐き出しながらトレンスキーは細く答えた。 「……だ、大丈夫じゃ」  アンティの喉から細い悲鳴が上がる。 「ですが、血が出ています……!」  アンティを離した鈍色(にびいろ)の篭手が地面を掻いた。  息が上手く吸えない。耳と意識が遠のきかける。  奥歯を噛み締め、右腕を支えにしてトレンスキーは上体を起こした。 「……ぐ、……っ!」  どくどくと体が脈打つたびに鈍い痛みが背中に走る。そこからべたりと滴るものを想像して、全身に嫌な汗がにじんだ。かすむ視界をわずかに動かせば、オオカミグマが新たな蔦に絡め取られてもがく姿が見えた。 「大丈夫か、早く止血を……!」  アンティを押し退ける勢いで駆け寄ったゲルディークを、トレンスキーは視線で制した。 「……その前に、あやつを”還す”のが先じゃ」 「何言ってんだ、お前思いっきり食らってたぞ!」 「この服は、こう見えて意外と丈夫じゃからな。こんなの、かすり傷じゃ」  ゲルディークは口を開きかけたが、トレンスキーの顔をのぞくと続く言葉を失った。やがて苛々と、髪を掻きむしりながら吐き捨てるように言う。 「このやせ我慢が。なら、とっとと済ませて俺に治療させろ」  トレンスキーは瞬きだけで頷くと、ぎこちない動きで立ち上がった。
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