休息

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休息

 イルルカの町はエトラ領の中央北部にある。  フェーダの東街道からやや離れた、なだらかな平地にある小さな町。アーフェンレイトの大災禍(だいさいか)以前は隣国カルバラへと向かう旅人も多く訪れ、田舎の風情を残しつつ発展した宿場町だった。  そのためイルルカには町の規模に似合わず多くの宿屋が存在している。ラルゴとリタが父娘(おやこ)で営む宿もその内の一つだった。  夏の日差しが照りだす前に起き出し、外周りの掃除を済ませる。それがリタの一日の始まりだった。  そのまま中庭へと足を運ぶ。数年前までは可憐な花々が植えられていた一画だったが、今は夏野菜がたわわに実る実用的な家庭菜園のおもむきである。  菜園の世話と収穫を終えたリタは軽く宿を振り返った。つば広の麦わら帽子の下で三つ編みにされた薄黄の髪がぱさりと揺れる。  本来であれば宿泊客のために朝食を用意する時間だが、今はその必要がない。リタは野菜を入れた篭を抱えると食堂へ向かった。  野菜の篭を厨房に置くと、汗のにじんだ顔を拭い簡単に身支度を整える。そうして食堂隅の椅子に座って一息つくと、リタは机に置かれたままの裁縫箱を開いて黙々と針を動かし始めた。  しばらく時間が過ぎた頃、食堂に一つの人影が現れた。 「おはようございます、リタさん」  声をかけたのはアンティだった。 「おはよう、アンティ」  リタは(だいだい)に近い茶色の瞳を上げると笑顔で答える。  食堂に入ったアンティは軽く厨房をのぞき見た後でリタに尋ねた。 「ラルゴさんは、今日はいないのですか?」 「父さんは町の宿仲間の集まり。夕方までかかると思うって」  針を置いたリタは裁縫箱を閉じると大きく伸びをした。 「ご飯、先に食べる? それとも……」 「師匠(せんせい)が来てからで大丈夫です」 「そしたらお茶を持ってくるわね。……ラウエルさんは?」  立ち上がったリタは背中の三つ編みを揺らしながらアンティの後ろをうかがった。十七歳になったばかりの少女の眼差しは、外に差す夏の日のようにきらきらと眩しい。 「いつもは一緒に降りてくるけど。今日は一緒じゃないの?」 「ラウエルさんは出かけました。修繕に出していた師匠(せんせい)の服を取りに行くと」 「あら、そうなの」  リタはそれを聞くと、ほんの少しだけ残念そうな顔をした。  トレンスキーたちがイルルカの町に着いてからほぼ半月。三人はリタの宿に寝泊まりしていた。  トレンスキーは怪我の療養をしながら不足していた旅の備品を書き出し、ラウエルはそれを買い足しつつ宿の力仕事などを手伝って過ごした。アンティも四精術(しせいじゅつ)の勉強を教わる以外はリタの手伝いをすることが多く、時間が空けば共におしゃべりに興じるほどには彼女と親しくなっていた。  リタが茶を淹れて食堂に戻ると、アンティは興味深そうにリタの席に置かれたものを眺めていた。 「かわいいでしょ?」 「はい、とても。……触ってもいいですか?」  リタが頷くと、アンティは両手でそっとそれを持ち上げた。顔の高さまでもってくると金色の目を柔らかく細める。 「……少し、ラウエルさんに似ていますね」  それは、手のひらで包み込めるほどの白い鳥のぬいぐるみだった。  アンティの言葉に不思議そうな顔をしたリタは、すぐに笑って頷いた。 「そうね、ラウエルさんも真っ白なかんじの人だし。きっと小さい頃はフェーダの演劇なんかで御使いの鳥の役とかやってたのかも」  リタは丁寧な手つきでぬいぐるみを篭へ納めた。中には同じ型紙のぬいぐるみが三羽ほどしまわれている。 「こういうのが今、お守りとして流行ってるんだって。だからたくさん作ってメルイーシャで売ってもらう予定。少しでも生活の足しにしないとね」
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