56人が本棚に入れています
本棚に追加
荷物の包みを抱えたラウエルが食堂に姿を見せたのは、卓上に四人分の食器が並び、焼けた肉の香りが漂いはじめた頃だった。
「お帰りなさい、ラウエルさん!」
リタの声でトレンスキーも食堂の扉を振り返る。萌黄の裾を揺らしながらラウエルの側に寄って言った。
「ラウエル、使いを頼んですまなかったのう」
「問題ない、私が行くのが一番早いのだ」
ラウエルが運んできた二つの荷物を入口近くの卓に置く。トレンスキーはすぐにその片方を解いて中身を見下ろした。
「……これは、良い仕事をしてくれたものじゃ」
トレンスキーが手に取って広げたのは深紅の術師装束だった。
左肩の裂け目はほとんど目立たたず、留め具と加護の風精石は丁寧に磨き上げられている。トレンスキーの唇から安堵の息がこぼれた。
無言で装束を眺める続けるトレンスキーに、前掛けを外したリタが呆れたような目を向ける。
「早く席に座らないと、先に食べちゃうわよ」
「ああ、すまぬ」
見ればアンティとラウエルはもう席についている。トレンスキーもすぐに装束を置いて向かいの席に座った。
トレンスキーは食卓を眺めると隣に座るリタに上機嫌で話しかけた。
「このジャム、昨日は出てなかったのう。良い色じゃな、スグリじゃろうか?」
「うん、アンティにも煮るのを手伝ってもらったのよ。自信作だからいっぱい食べてね。……ラウエルさんもどう?」
リタが斜め向かいに座るラウエルに声をかける。鶏肉にナイフを入れていたラウエルは若草色の目をちらとリタに向けると、すぐに視線を落として言った。
「私には必要ないのだ」
「え、そ、そう……?」
「自信作ならば、私ではなく、君たちで食べた方が良いと思うのだ」
トレンスキーが深いため息を吐いた。
「……お主のう」
向かいからひょいと腕を伸ばし、トレンスキーがラウエルの皿に一すくいのジャムを落とす。抗議の声が上がる前に小言めいた口調で言った。
「こういう時はな、遠慮せずにいただくものじゃ。せっかくリタとアンティが作ったのじゃぞ?」
「しかし、私は……」
そもそも食事自体必要ないのだと視線で告げるラウエルにトレンスキーは首を振る。
「お主にとっては必要なくとも、共に食卓を囲むワシらにはお主の反応が必要なのじゃ。いいから食べて二人に感想を言ってやれ」
ラウエルは不思議そうにリタを眺めた。その顔に浮かぶ不安げな表情を見ると、少し考えた後で切り分けた肉にジャムをのせる。ゆっくりと味わうと小さく頷いてリタに言った。
「……とても、美味しいと思うのだ」
「ほ、本当に?」
「もし、また作る機会があるなら言ってほしい。私も、摘みにいくのを手伝うのだ」
その言葉を聞いたリタは息が止まるような表情をした。口元を覆った顔にぱっと赤みが差す。
「あ、ありがとう。それじゃ来年、また絶対に作るから……!」
「うんうん、良かったのうリタ」
食卓で広げられるそんな会話を、アンティは耳をそばだてながら聞いていた。
やがて食事が済んだ頃、全員の食器を下げ終えたリタがトレンスキーに声をかけた。
「……ねえ、エル?」
「ん、どうしたのじゃ?」
言ったトレンスキーは至福の表情で食後のコーヒーを傾けていた。置き放たれたままの術師装束をちらりと見やったリタは、座る彼女を見下ろして尋ねた。
「いつもの服が直ったってことは、また旅に出るつもりなのよね?」
向かいで午後の予定を話していたアンティとラウエルがぴたりと会話を止めた。トレンスキーがきょとんとした顔でリタを見上げる。
前掛けを両手で握りしめたリタは薄青色の瞳を見つめて言った。
「でも、今はアンティだっているんだし。この前みたいに怪我するような、危険なことは止めた方がいいんじゃない?」
「いやその、この前のは……」
視界の端に、いたたまれない様子で顔を伏せるアンティが映った。言葉をにごしたトレンスキーにリタは勢い込むように続けた。
「いっそ、旅なんてやめてアンティとラウエルさんとこの町に落ち着いたらどう? エルだったらきっと、町のみんなだって歓迎してくれるだろうし」
「リタ、それは……」
「エルはいつだって誰かのために頑張ってきたけど、そろそろ自分のために、穏やかな暮らしをしたっていいんじゃない?」
リタの言葉にトレンスキーは小さく肩を震わせた。ぎゅっと眉を寄せると、トレンスキーはカップの中で揺れるコーヒーに目を落とした。
最初のコメントを投稿しよう!