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「……アンティ、ラウエル? 失礼するぞ」
しばらく待った後で扉を開いたトレンスキーは目の前の光景を見て絶句した。
部屋の床に両膝をついたラウエルと目が合う。その向かいに立ちつくすアンティは、日に焼けた頬の上にほろほろと涙を落としていた。
「お、お主らどうした? 一体何があったのじゃ?」
トレンスキーはおろおろとアンティの側に寄った。着替えたての術師装束はまだ四精石を詰めていない分、普段よりも軽く裾が揺れる。
結ったばかりの毛先を床に落としたトレンスキーはアンティの黒髪をかき分けながらその顔をのぞき込んだ。
「け、ケンカか、ケンカしたのか? いやまさかお主らがな。叱られた、などというのもあり得んよな。ひょっとしたらあれか、ラウエルの不用意な一言にものすごく傷ついてしまったかんじか?」
「せ、師匠、その……」
矢継ぎ早に問いかけてくるトレンスキーに、目を見開いたアンティがつっかえながら声を上げる。自分でも状況がよく理解できていないといった様子だった。
側で見ていたラウエルが小さく息を吐いて立ち上がった。
「それは、共鳴しているのだ」
「共鳴?」
「おそらく、他の招来獣の、……内面に」
トレンスキーとアンティが揃ってラウエルを見る。
「どういう意味じゃ、ラウエル?」
窓辺に寄ったラウエルが目を細めながら二人を見下ろした。
「それの攻撃性が顕著に現れたのは、招来獣と対峙した時だったのだ。しかし旅をしている中で、それが私たちに対して敵意を向けたことはなかったのだ?」
「……それは、たしかに。招来獣の性ゆえに攻撃的になるのなら、ワシらと仲良くできること自体おかしなことじゃな」
頷いたトレンスキーにラウエルは淡々と言葉を続けた。
「目覚めた当初、それには記憶がなかった。言い換えれば内面が空白だったのだ。そこに戦闘用招来獣たちの内面が共鳴していたと考えれば……」
「なるほどのう」
トレンスキーは思い出すように目を閉じる。
初めて出会った日に見せたキツネモドキたちを蹂躙する姿。そして先日のオオカミグマとの戦闘。金色の瞳が見せた敵意の色は、そのまま相対する招来獣たちを映した鏡だったということか。
「それでは今、アンティが泣いておったのは……?」
そこまで考えたトレンスキーは訝しげな声を上げたが、陽光の影になったラウエルの顔を見てはっと言葉をのみこんだ。
かわりに、側にいるアンティにそっと目を向けた。
「……その。お主は今の話を聞いてどう思う、アンティ?」
「……わ、分かりません」
アンティは強く首を振った。
「僕は、どうしたらいいでしょうか?」
目の前のトレンスキーは久しぶりに見る深紅の術師装束姿だ。その左肩にわずかに残る修繕の跡を見て、アンティの表情がくしゃりと歪む。
「僕は、もう、この前みたいに、師匠に怪我をしてほしくありません」
震える声でアンティは言う。
後悔と深い不安をにじませた声だった。
「招来獣と会ったら、僕はまた斃したい気持ちを抑えられなくなるかもしれません。それで師匠たちに、また迷惑をかけてしまうかも、……しれません」
「アンティ……」
「でも、置いていかないでほしいです」
再び頬に伝った涙は、ラウエルの感情に誘起されたものではなかった。
「リタさんの言うとおり危険な旅だとしても。僕は師匠と、ラウエルさんと一緒に行きたいです。連れていってほしいです。でも、それで師匠に迷惑をかけてしまうのは嫌で……!」
それは、二人に初めて語ったアンティの本心だった。
「……どうしたら、いいでしょうか?」
揺れる金色の瞳が縋るようにトレンスキーを見つめた。
「どうしたら僕は、師匠を困らせないようにできるでしょうか?」
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