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アンティは驚いたように息をのんだ。トレンスキーは静かな声で説明を続ける。
「そのおかげで、あやつは定期的に四精石さえ摂取すれば過酷な地でも生き延びることができるし、体液──主に血液からあの茨をトフカ語の詠唱なしで発芽させることもできる。しっかりと制御するにはトフカ語も必要なようじゃが」
焚き火が軽い音を立てて爆ぜた。しばらく黙りこんでいたアンティは固い声で聞いた。
「……人では、ないのですか?」
「いいや、人じゃよ」
揺れる火を眺めるトレンスキーが短く言う。
「その半分が植物で、そのさらに何割かは四精術というだけで。ゲルディークは人間じゃよ」
それきりトレンスキーが口を閉ざす。辺りに響くのは川の流れと焚き火の音だけになった。
アンティは以前、ゲルディークが血を流した時は近づいてはいけないとラウエルに言われたことを思い出した。危険だから、という説明に今さらながら理解がいった。
ゲルディークに噛みついたキツネモドキはその返り血を浴びた瞬間に鋭い棘の餌食になった。もし知っていたとしても避けられたかは分からない。あれは、自分の身を犠牲にしても相手を必ず仕留める強烈な反撃だった。
「……アンティ」
毒々しい茨の姿を思い返して顔を強ばらせていたアンティに、トレンスキーが声をかけた。
「その、無理にとは言わんが。あまりあやつを怖がらないでやってくれ」
「師匠?」
見れば、トレンスキーは気遣わしげな眼差しをアンティに向けていた。
「普段はな、あやつ自身が周囲に気を遣っておる。今までお主にも気づかせなかったじゃろう。他人にはめったに近づかぬし、近づく時は不慮のことが起こらぬようにと常に考えておる。だから……」
「君がいくら言ったところで、毒蛇が近くを這っているのを見て冷静でいられる人間は少ないと思うのだ」
淡々とした声が二人に届く。先ほどよりも大きな枝を持って戻ってきたラウエルがすぐ近くに立っていた。
「……お主、辛辣じゃのう」
「それが不安に思うのも無理はない、誰もが君のように考えるのは難しいのだ」
ラウエルが再び枝を火にくべながら言う。トレンスキーは不服そうな表情を浮かべたが、反論の言葉は出てこなかった。
アンティはふと思い返す。
ヒースの山で出会った時、オオカミグマと対峙して左肩を負傷した時、イルルカでその治療を受けていた時。ゲルディークと接するトレンスキーの様子に違和感はなかった。まったくの自然体だった。
「師匠は怖くないのですか、ゲルディさんに触られて?」
「怖い、というよりワシは不安じゃよ」
トレンスキーは息を吐いた。
「あやつはどこか、自分自身さえ消耗品のように捉えているふしがある。もし目標を達成した時に、理解してやれる人間が、触れてやれる人間が一人もいなければ。あやつはそのまま命を絶ってしまいそうな気がする。……そんなところを見るのは嫌じゃ」
アンティが目を丸くする。ラウエルは残りの枝を火の周りに積みながら小さく言った。
「そういうところが、君がお人好しと言われる所以なのだ」
最後の一本をそっと火に乗せると、ラウエルはふと瞬いて若草色の視線をゲルディークへ向けた。
「……目が覚めたようなのだ」
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