助言

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助言

 浅い眠りについていたアンティは、トレンスキーたちが川辺を発つ音にはっと目を開いた。次第に遠のいてゆく蹄の音が完全に聞こえなくなると、そっと起き上がって暗い川の向こうに目を向ける。  その顔には抑えきれない不安ともどかしさが浮かんでいた。言葉にならない思いはやがて深いため息へと変わった。 「……子犬ちゃん」  少し離れた先で横になったままのゲルディークが声をかけた。寝起きの揺らいだ声ではない。しばらく前から起きていたのだろう。 「ゲルディさん、……具合は大丈夫ですか?」  熾火(おきび)の淡い明かりの中、そっとゲルディークの側に寄りながらアンティが尋ねる。少し待つと答える声が返ってきた。 「ちょっとはましになったが、相変わらずだ。それより……」  鳶色(とびいろ)の目を月明かりに向けていたゲルディークが、アンティへと視線を移した。 「どうして言わなかったんだ?」 「え……?」 「お前の師匠にだよ。自分は大丈夫だから、一緒に連れてってくれって」  アンティはぎゅっと両手を握って黙り込む。ゲルディークは小さく息を吐くと、右手を支えにしてゆっくりと体を起こした。 「ゲルディさん、まだ起き上がらない方が……」 「それじゃお前、いつまで経ってもあいつらを追いかけられないだろ。……ああ、頼りの綱がこんな子犬ちゃんだなんてな」  上体を起こしたゲルディークが気だるげに懐を探る。革袋から青く澄んだひとかけらを取り出すと無造作に口に含んだ。 「ゲルディさん、それは?」 「水精石(いし)。”彼女”のためのな」  その言葉にアンティはびくりと体を固める。少し迷った後でそっとゲルディークに問いかけた。 「その、どうしてゲルディさんは、……をしたのですか?」  なぜ自分と植物を混ぜたのか。聞かれたゲルディークは不快そうに眉を寄せたが、水精石(すいせいせき)に目を落とすと渋々といった様子で答えた。 「……そうしなけりゃ生き延びられなかったってのもあるけど。やっぱり、お花さんは俺の理想だからだよ」  アンティは困ったように首をかしげる。 「理想、……というのは。そんなにも大事なものですか?」 「人による。俺は、どうでもいい他人のどうでもいい思惑に飼い殺されるくらいなら、自分の理想に生かされて死んだ方がましだと思った。今だって後悔はしてない」  言ったゲルディークは小さく鼻を鳴らした。 「……まあそうは言っても。結局俺は焦がれるだけで人にも花にも、竜にも成れねぇまがい物なんだけどな」  アンティはきょとんとした目をゲルディークに向けた。 「竜、ですか?」 「子犬ちゃん、もしかして俺の名前(ゲルディーク)の由来知らねえの?」  意外そうに問われたアンティは戸惑った顔で言った。 「知らないです」 「そっか、けっこう有名なんだけどな」  水精石(すいせいせき)をもう一つまみ口に含むと、ゲルディークはわずかに目を伏せて語りだす。 「ゲルディークってのはさ、昔話に出てくる邪竜の名前だよ。世界を滅ぼそうとした悪しき竜。自らの師匠を殺してその知識を奪った、師殺しの竜の名前だ」  金色の目を見張ったアンティにゲルディークは苦笑してみせる。 「師匠もさ、よくそんな名前を弟子の俺にわざわざ付けようと思ったよな。本当に、四精術師(しせいじゅつし)ってやつは名付けの趣味が悪すぎる」 「ゲルディさんの、師匠(せんせい)は……?」 「俺が殺した」  苦い笑みを浮かべたまま、ゲルディークは言った。
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