川越七福神

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川越七福神

 やっと相棒となった私と先輩が、一番先に始めたことは企画の成功を祈願することだった。 私達は川越の七福神へ行くことを選択したのだ。 其処へ行くのに一番近いのは川越駅だった。 『本川越駅からは反対に回れるけど……』 『いいや、ここはやはり正規に行こう』 パンフレットを見ながら言った私に先輩が気遣ってくれたことを思い浮かべて本当は悪いことをしたと思っていた。 東武東上線の沿線に住む私にとっては、有り難いことだったのだ。それでもやはり先輩は新河岸駅に行きたいのだと思った。 先輩は自他共に認める埼玉マニアだ。何故そうなったのか尋ねたことがある。 先輩は学生時代、埼玉の自宅から東京まで通っていたそうだ。その時途中下車しては駅の周りなど探索していたようだ。インターネットより、実際に確めて知識を得る。 IT企業のアルバイト時代、その豊富な情報網によって的確に指摘が出来た。先輩は若手のホープになれたのだ。それで埼玉マニアと言われたそうだ。 (でも学割なんでしょう? 途中下車なんて犯罪行為じゃない) 私は疑問を感じインターネットで調べてみたらかなりの人がやっているとあった。 だから私も通勤割引を利用して今此処にいる訳だ。  数年前、川越に念願だったホームドアが出来たと新聞記事にあった。 私は其処の前でドキドキしていた。 東武東上線は昔から事故が多く、その度電車が遅れていたのだ。 その原因の一つが東武が高い違約金要求しないことにあると、学生時代に何処かの駅で運転再開を待っていた時に言われた。 実際にそうなのか解らないけど、もっと高く取れば軽々しく踏み切り内には立ち入らないても語っていた。  ホームドアは東京メトロの乗換駅には設置されているにはいるが、東上線は見たことがなかった。 だから尚更嬉かったのを覚えている。 「念願のホームドアってあったけど、本当に感慨無量だね」 「何処が?」 返答が馬鹿にされたようで少しムカついた。 「それにしても遅すぎないか?」 「そうよね。有楽町線には全駅あるのにね」 「いや違う。お前さんの感動ぶりだ。ずっと前からあるのに……」 「悪かったわね」 私はわざと膨れっ面をした。 「川越駅で降りたのは初めてだし、ただ地下鉄で出掛け時に見かけたから何時か見てみたいと思っただけよ」 「地下鉄? 会社方面じゃないな? 一体何処へ行ったんだい?」 「東京地方裁判所。桜田門駅で降りるの」 「桜田門って、確か皇居と警視庁がある場所か? 井伊直弼の暗殺事件は桜田門外の変だったな?」 「そうよ。その桜田門。警視庁の反対側にレトロなレンガ造りの建物があって、その隣の建物に裁判所が入ってる」 「何の裁判だ。まさかお前さんが被告じゃないんだろう?」 「当たり前じゃない。私が悪いことをする人間に見えて?」 「ふふふ、人間見た目じゃな」 先輩がキツいことを言う。だから私は言ってはならない家族の恥をさらけ出す羽目になっていた。  私の母は兄を装おった詐欺の被害に遭っていたのだ。 「『母ちゃんごめん』って電話機口で言われ、母は兄だと思い込んだの」 「お兄さんってそんな言い方するの?」 「うん。そっくりだったらしいよ。だから信じてお金を用意したの。ところが現れたのが別の人で……」 「でも普通、違う人が持ちに行くって言われた時点で気が付くはずだけどな」 「それが最後まで自分が行くって言ってたみたい」 ちょっと悄気ていると先輩が顔を覗き込んできた。 「な、何なのですか?」 「いや、急に大人しくなったからかな? お母さんのことでも思い出したのか?」 「ううん」 そうは言っても、先輩の言葉で又詐欺事件を語る羽目になっていた。  「鎮守様まで現金を袋に入れて持って行ったんだって」 「息子さんだったら普通家に持ちに来るよな?」 「家には父がいるから……ね。だから外での受け渡しなんだと母は思ったの」 「でも、結局詐欺だと気付いたんだろ?」 「そうよ。お金を渡す少し前に、急に行けなくなったって電話があったんだって」 「それでも渡した?」 「そうよ。悪い? 母はその時詐欺ではないのかと思い始めたの。でも自分の身の安全のために渡すことにしたんだって」 「そうか。ナイフでも持参されていたら一溜まりもないからな。それにお前さんの兄貴のこともあるからな」 「だから家に戻って息子の安全を確認してから110番に通報したのよ。すぐに捕まるって確信したからよ。地元の警察を信用したの」 「警察はすぐに来たの?」 「来るには来たんだけど、全然動かないんだって」 「何で?」 「詐欺事件だからよ。刑事が母をバカにして、逆探知機で遊んでいたんだって。その内に犯人から電話があって、それが最初に登録させられた番号だったの。つまり受け子じゃないってこと。でも『用意が出来てないから出ないでくれ』って言ったんだって。その直後『きっとこれで掛かって来ないでしょう』って言ったんだって」 「何なんだ、その刑事」 「でしょ? だから母は怒ったのよ」 私は母から聞いたことを話した。 でも私も刑事の母を小馬鹿にした態度が許せなくなっていた。 だから先輩に話したのかも知れない。 詐欺事件の説明で楽しむことが出来ない。 それでも私は続けるしかなかった。 地元の刑事に母が受けた侮辱を先輩に解ってほしくなっていたからだ。 「刑事が事情聴取をしている時に兄から電話があったんだって。画面に名前があったんだって。その電話に刑事が出て『もしもし、お兄ちゃんだよ』って」 「何それ?」 「刑事が、母の前で兄の兄を騙ったんだってさ。警察に行く前に母は兄に連絡を入れようとしたの。今日は遅れるかも知れないと思ったからね。だから着信を見た兄から連絡があったの」 「お前さんにお兄さんが二人いる訳か? 何かその刑事が一番のワルみたいだな。逆撫でしているみたいだ」 「そうなのよ。母を揺さぶって遊んでいたの」 「訴えてやったら?」 「母もそう思ったらしいけど、刑事が何故本気になれないかをその後知った訳よ」 「何だろ?」 「あのね。警視庁から刑事が来てね、事件は警視庁に引き継がれることになったの。犯人は栃木県で捕まった らしいの。母のは別件で……」 「そうか、地元の刑事が犯人を捕まえても警視庁に持っていかれるんだ。だから本気になれないってことか?」 先輩の言葉に頷いた。 「詐欺事件なんかで俺達を煩わせるな。ってことでしょう」 「お母さんにしたら、詐欺の犯人よりも刑事の方が許せないってことだな」 「うん。その通り。あのね、刑事はすぐに全部のタクシー会社に連絡したって言ったんだって。でも警視庁からの刑事はそのタクシーの運転手を割り出したそうよ」 「流石警視庁の刑事だ。でもちょっと待て、ちゃんと捜査していればその場で逮捕出来たのかも知れないな?」 「そうなのよ。母の通話記録では、現金の受け渡し事件が発生してから1時間後だったの。それに、アジトも割り出せた可能性もあったみたいなの」 「逆探知機を弄ばなければってことか?」 「警視庁の刑事によれば、家の電話に掛かって来たのがアジトからだったみたいです」 「本当に馬鹿だね、その刑事。アジトが判明したら、未然に防げた事件があったかも知れないのにな」 「母もそれを言っていたわ。母はね、鎮守様に向かう途中にその電話を受けて不振に思ったんだって。だから犯人の後ろ姿を撮影したの。だからパトカーが到着して数分後には、近くのコンビニの防犯カメラで犯人が特定出来たの」 「えっ!? それでも動かなかったの?」 「本気に馬鹿な刑事がいてね。実は携帯に掛かって来たのはずっと同じ番号だったらしいの。受け子が渡した別のスマホは『母ちゃん俺は無事だから安心して、だからその人に渡してくれ』って言ったみたいです」 「気の毒だなお前さんのお袋」 「ありがとうございます。母も浮かばれます。実はもう一つその刑事に関連して嫌な思いしたんだって」 「えっ、何?」 「二回目に事情を聞かれた場所がパーティションで仕切られているだけで、通りすがりの人に筒抜けだったらしいの。其処で、住所氏名に生年月日、おまけに詐欺被害の実態まで大声で読み上げたんだって」 「酷すぎるな、その刑事」 「でしょ」 私達は何時の間にか意気投合していた。  三角形の鏡を張り合わせたようなモニュメントのある駅前の階段を下り、デパートを左に見ながら右の道を行く。 「何となくビッグサイトに……」 「あぁ、あの形は似てるね」 「でしょ?」 私は憧れの先輩が傍に居ることが嬉しくて、ワクワクしていた。 「あれっ」 先輩が立ち止まった。 「どうしたのですか?」 「この脇の道を真っ直ぐに行けたはずだったんだ」 「えっ、でも仕方ないので回り道……」 「それしかないか。じゃ、この細い道を行くか?」 先輩が示した下には点字ブロックがあるにはある。 でもその横には柱があって危険だと感じた。 「あの道を暫く行くと妙善寺が現れるはずだったんだ」 「でもその手前はフェンスで閉鎖されていたし、この道はちょっと危ないし……」 「観光に力を入れてる割りには、見落とされている場所も多い気がするな」 「私達で、何とか出来ればいいですね」 「いや、俺達にそんな力はないよ」 「いいえ、遣ってみなければ解りませんよ」 「そんなもんかな?」 「そんなもんです。ねえ先輩、仕方ないので建物の横から回りましょうか?」 「よし、裏道でも行くか?」 私達はその次の角を曲がりその先を右に折れた。  高床式とでも言うのだろうか? そのお寺は階段の上にあった。 このお寺の本像は毘沙門天だ。 川越駅に近い住宅地に妙善寺はある。 1624寛永元年に創建された天台宗の寺で、現在の堂宇は昭和53年に再建築された。 本尊は智証大師作の不動明王。 本堂の扉が少し開けられており、その隙間から本堂内に安置されている毘沙門天像を拝顔することが出来る。 毘沙門天は威光・大願成就の福神。仏法を守護する四天王の一員で多聞天の別名がある。鎧兜で武装して邪悪を踏んだ憤怒の形相から戦勝の神として武将から祟敬も厚い。上杉謙信らが守り本尊にしていたのは有名な話だ。財宝・富貴を授けて大願成就をもたらし、疫病や災難から守ってくれると言う。  次に向かったのは、天然寺だった。 妙善寺の道を左に曲がる。 暫く行くと丁字路がある。 その先を右に折れて歩くと、天然寺の案内板があった。 「どうせなら、妙善寺への道しるべも表示してほしいですね」 「そうだな。一番への道だからな。それも書いてみるかな?」 「先輩、遣る気になりましたか?」 「あぁ、俄然とだがな。お前さんといると、不思議にこうなる」 「さては私に惚れましたか?」 言ってしまってから失言だと気付く。でも後の祭りだった。 私は恥ずかしくなって俯いた。  その二つ目の交差点を右に折れて真っ直ぐに行くと、仙波会館脇に出る。 更に下ると国道16号が見えた。 その手前を左に折れると寿老人の天然寺があった。 境内に入ってみて驚いた。国道近くだと言うことが感じられないくらき静かだったからだ。 1554天文23年創建の天台宗の寺で、本尊は大日如来。 車の往来が激しい国道沿いにあるが、境内に足を踏み入れば静寂さが漂っている。 本堂に向かって右側に寿老人像を安置した小堂があり、参詣時間内は何時でも拝観出来るように開扉されている。 寿老人は長寿・福禄富貴の福神。延命長寿を司る神として信仰される。福禄寿と同体異名とする説があり、御利益も似通っている。姿形は中国・道教の神仙の姿をしているが、白い髭と巻物をくくりつけた長い杖を持った上品な老人といった印象。長寿の鹿を従え、福禄、富貴の福神とされる。  天然寺へ来た道を逆さに行くと、さっき見た仙波会館脇に出る。 其処を右に曲がって真っ直ぐに進む。 大通りを左に行くと、川越駅方面だ。 私達は真っ直ぐ突き進んだ。 暫く行くと左側に川越第一中学校。 その先には中院があった。 「此処は次に来た時に寄ろう。桜が綺麗だから」 先輩が言うのだから間違いない。ってことで、仙波東照宮をも通り過ぎ、次の道を左に折れて喜多院へと向かった。 東照宮前には鳥居があり、その先の階段上には三葉葵の門がある。 此処が徳川家所縁の場所だと言うことは一目瞭然だった。 喜多院の相向かいには日枝神社があった。 「此処も日枝神社なのですね」 「あぁ、浅間神社や氷川神社、熊野神社など、同じ名前の神社が多いな。きっと皆、由緒正しい神社なんだと思うよ」 「そう言えば、川越氷川神社って大きいらしいですね」 先輩の真似をして私も知ったかぶりをした。 「この時期、桜と五重の塔と富士山で有名になった富士吉田駅の近くにある新倉山浅間神社には忠霊塔がある。これは靖国神社と同列なんだそうだ。SMSでインスタ映えすると人気だけど、霊場を荒らしてほしくないな」 でも先輩は更にその上をいった。  赤い山門を潜り暫く行くと売店があり、其処で5百羅漢と本堂の入場券が販売されていた。 「此処もこの次に来た時だ」 それに頷きながらも、本当は入りたいと言う欲求が出てきた。 「何だ、入りたいのか?」 その質問に慌てて首を振った。 今日中に七福神をクリアしなければ次に続かないからだ。 (うん。此処も次に来た時) そう割り切った。  「寄居にも5百羅漢があるんだ」 先輩が講釈を始める。 「少林寺って言うのだけどね。此処の僧侶が檀家の奥さんとねんごにろなって情を交わしている内に旦那に知られてしまったそうだ」 「ねんごにろ? ただの浮気でしょ? 今で言うなら不倫かな?」 「ああ、そうだ」 「あの、それがどうして5百羅漢と結び付いたのかそれを知りたい」 「木に吊るされそうになるところを、5百羅漢を建立するために3年待ってくれとお願いしたそうだ。その後で托鉢しながら江戸の石切場に行って頼んだそうだ」 「で、3年で出来たのですか?」 「いやそのお金じゃ無理だと断られたんだ。その足で吉原に行って豪遊したそうだ。其処にいた遊女達に説教をして3倍のお金を貢がせたんだ」 「浮気目当てだったりして?」 「ま、そう言うことだけど。遊女達は自分が救われることを信じたんだな」 「それでもです、か? やっぱりお坊さんの力は凄いんだ」 「そうだね。それに一度に大人数で掘ったから、ノミ使い方も違うんだ。それだけ味わい深いんだな。托鉢で50円得たけど、150円ならって言われて」 「その50円で遊び、遊女に寄付させたわけね」 「僧侶は身支度をして荒川の船着き場から向こう岸に渡り、川沿を托鉢して江戸の向島に着いたそうだ」 「その時集まったお金が50円だったのね?」 「そうだ。そこで麻布の石工を教えられ訪ねたら150円ならって言われて吉原に行った訳だ」 「きっと、『悲しいことや辛いこともあっただろう』なんてくどいたんだね?」 私の推察の良さに負けて、先輩はただ頷くことしか出来なかった。 「だから石工は頑張ってくれたわけだよ。本当のことは知らなくても、坊さんだから、功徳を詰みたかったのかも知れないな」 先輩は5百羅漢の並んでいるらしい道を脇を歩きながら言っていた。 羅漢とは尊敬や施しを受けるに相応しい聖者と言う意味。 喜多院には全部で538体が鎮座していて日本三大羅漢の一つなのだそうだ。 深夜に羅漢の頭を撫でると一つだけ温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているとの言い伝えもあるそうだ。 でもそれは喜多院では叶えられない。 夜中に侵入することが出来ないからだ。だからと言って寄居の5百羅漢まで行く勇気はない。 例え先輩が考案した肝試しだったとしても……。  平安初期の830天長7年、慈覚大師創建の天台宗の小刹。天台宗の教えを広めるために無量寿寺として開創されたのが始まりとされる。 慶長4年徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。 江戸城から移築された徳川家光誕生の間と春日野局化粧の間などがあるけどこれも次回だ。 実は川越大火により山門以外を消失したが現在では多くの建物が重要文化財に指定されているそうだ。ふと、家光誕生の間など大丈夫だったのかと思った。 50年の歳月を掛けて彫ったとされる538体ある5百羅漢などの文化財も多く何時でも参拝客で賑わっている。 本堂脇にある大黒天堂は参詣時間内は開けられている。 大黒天は富財・五穀豊穣の福神。ルーツは荒々しい戦闘神だったが、中国では金の袋を持った福徳神に変わり、日本には寺院の厨房の神として伝わる。その後、大国主神と習合した五穀豊穣や財福の神「ダイコクサマ」と呼ばれるようになり、大きな袋と打出の小槌、米俵に乗った福神の姿に定着した。  二重の塔とでも言うのだろうか? 喜多院横には唯一立派な寺院らしき物がある。 その脇より表に出ると、何時かテレビで見た時の鐘らしき建物があった。 「あれが時の鐘?」 早速先輩に訊ねてみた。 「あっ、似てるね。でもこれは違うよ。本物の時の鐘は銀行の近くにあるはずだから」 「銀行?」 「蔵造りの町並みにあって異彩を放つ建物だよ」 「わぁ、見てみたい」 「って……」 「実は、川越には来たことがなかったの。仕事は東京だからね。だから先輩がロケーションにえらんでくれたからラッキーだと思ったの」 それがこのロケーションに先輩が誘ってくれてから、ウキウキしていた本当の理由だった。  次は成田山川越別院。 先に訪れた喜多院とは近い。 通りを隔てた場所。 そう表現していいほどだと感じた。 其処は見た目ですぐに判った。 川越歴史博物館の横の通りで、大きな不動明王像が睨みを効かせていたからだ。 七福神は恵比須天像だった。 此処は大本山、成田山新勝寺の別院。 不動明王を本尊とする真言宗の寺。 交通安全祈願の参詣客が多いことから駐車場も広い。 山門から本堂へ延びる参道の右手に恵比須天像を祀る小堂がある。 開山堂が立ち並び、参詣時間内は開扉しているそうだ。 恵比寿は正直・商売繁盛の福神。 唯一の日本出身の福神で、恵比寿・恵美須・夷・蛭子などとも書く。烏帽子に狩衣、釣竿に獲物の鯛を抱えた姿から漁業、海上安全の神として漁民から厚く信仰される。また暴利をむさぼらない正直な心を持つ神であるということから商業全般、商売繁昌の福神とも伝わる。 「確か骨が無く産まれたヒルコが蛭子になったって聞きましたが……」 「関西ではそういう伝説もあるな。でも東京の近場での七福神だからな。硬く考えなくても良いんじゃないか?」 「それもそうですね」 先輩の言葉に頷きながら歩き始めた。  別院を出て、通りを左へ行く。 幾つかの辻を過ぎると、本川越駅前の通りへと繋がる連雀町の信号機がある。 其処を右に曲がって真っ直ぐ行くと、蔵造りの通りだ。 でも次なる目的地に入るには、一つ先の交差点を曲がらなければならないのだ。  次は連馨寺。 街の中心部にあり、子育呑龍上人の寺として親しまれる浄土宗の大寺。 本堂の右手に福禄寿神像を祀る間がある。 外からも拝顔可能だそうだ。 福禄寿は人望、三大願望の福神。 中国の道教をルーツとし、中国での三大願望・福(幸福)禄(俸禄)寿(寿命)を授けるという福神。 同体異名とされる寿老人とは異なり、いかにも長寿そのものといった頭と胴体がほぼ同じ長さという風貌で、長寿のシンボルとされる鶴を伴う。 蓮馨寺は桜の古木も多く、休憩に最適な寺院だ。 境内には子育て地蔵や真っ赤や体を撫でれば痛みに効くと言われるドデカイおびんずる様も安置されている。 お釈迦様の弟子の16羅漢の筆頭、賓頭廬のことだ。羅漢とは、人々から尊敬布施を受けられる悟りを開いた高僧のことらしい。  連馨寺の境内を通り抜け、木戸を真っ直ぐに行けば菓子屋横丁脇の道にに出る。 その先を左に折れて、川の手前わ左に曲がると見立寺だ。 でも先輩は意地悪するかの如く交差点を左に折れる。雑踏を免れるためには仕方ないとは思うけど、やはりメインストリートを歩きたかった。 1558永禄元年開山の浄土宗の寺。 すぐ近くに観光客で賑わう菓子屋横丁があるが、至って静かな環境だ。 本堂の右手前に布袋尊像を祀る小堂があり扉の間から手を上に持ち上げているユーモラスなポーズの尊像を拝見出来る。 布袋尊は大量、福徳円満の福神。 中国唐代末期に存在したという布袋和尚がモデル。 和尚は大きな袋を持ち歩き、袋の中の食べ物が尽きることがなかったということから大量をもたらす福神とされた。 太鼓腹の肥満形で満面笑みのユーモラスな風貌が福徳円満の象徴として親しまれている。  次は妙昌寺。 七福神最後の寺だ。 此処には唯一の女神の弁財天が祀れている。 見立寺を出て元来た道を少し歩く。次の交差点を右に行き、その次を左に曲がる。その先を少し左に折れた場所に妙昌寺はあった。 1375永和元年開創の日蓮宗の古刹で、江戸時代に市街から現在の地に移った。 本堂の左に回り込んだ場所に弁財天を祀る弁天堂がある。 この尊像は古くから祀られている石状のものに線で刻まれた繊細な像だと言われ、残念ながら目では確認出来ないらしい。 弁財天は愛嬌、学芸全般の女神。 七福神唯一の女神。 正しくは弁才天だが、鎌倉時代以降に財の字が充てられるようになり、姿形も弓矢や刀剣を持つ八本の腕から二本で琵琶を持つ姿に定着した。音楽や学芸全般の女神として人気はある。 「それじゃ、もう1つの弁天様へ行く?」 先輩が言った。 「えっ、あるの?」 「丁度帰り道だから……」 先輩はそう言ったら早いか、本川越駅を目指して歩き出した。  本川越駅の手前に先輩の言う神社はあった。 今此処にはサッカーの守護神と言うべきシンボルマークの八咫烏のレリーフが飾ってあることも教えてくれた。 和歌山県にある熊野神社に了解してもらってからの製作となったそうだ。 去年は一年のほぼ真ん中にあたる6月の終わりには、茅の輪も登場したようだ。 その頃参拝することを真ん中詣りと言うそうだ。 夏越の祓いとも言うらしい。 でも今もやっていた。 「そんなバナナ」 思わず言っていた。 「茅の輪が何故あるの?」 「いや、あれはなぎの輪だそうだ」 私の発言を受けて先輩が教えてくれた。 「左に曲がって今度は右。次は又左だそうだ」 鳥居の前に置いてある参拝の手順を読んでくれる。その後前に進んで終わったらそれを元の位置戻す。 そしてその先には、お目当ての弁天様を配した銭洗い弁天も確かにあった。でも先輩は何故か其処には近付かなかった。 「丸い弁財天って可愛いすぎない?」 私は先輩の傍に行き、今日起こった様々な出来事を思い出しながら笑っていた。 「弁天様にお詣りすると別れるって言われてるんだ」 帰りがけに先輩が言った。
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