『神さまの神さま』

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『神さまの神さま』

 「神さま、どうか今年こそは医学部の受験に合格させてください!」  「今年のバレンタインこそ憧れの先輩に告白します。だから……この恋、成就させてくださいっ!」  「インターハイ優勝させてください。現役最後の夏なんです。よろしくお願いしますっ!」  「宝くじで1億円……いや、せめて2000万円だけでも当選させてください!」  年がら年中鳴らされる神社の本坪鈴(ほんつぼすず)、人によって異なる手拍子、賽銭箱に投げ入れられる硬貨の音。    「えーい、もう聞き飽きたっ!」  私は我慢の限界だった。  人間は困ったらすぐ神に(すが)る。  我々神のことを、全知全能の力を持った何でも願いを叶えてくれるスーパーヒーローだとでも思っているのだろうか?  いや、現代人の多くはきっと、別に必ず願いが叶うものだなんて期待はしていないのだろう。  何事も、結局は自分の実力でどうにかするしかないし、運次第なところもある……けれども、夢に向かって何か大きな挑戦する時などに、"願掛け"をして精神的保険をかけておきたいのかもしれない。  神さまにお願いしたのだから、それでもダメだったならそういう運命だったと諦めもつくのだろう。きっと、あの時お参りしていれば……なんていう後悔はしたくないのだ。  ある意味、人々にとっては神という存在が生活の一部となっていて、心の拠り所にしてもらえているということだろうか。  人間にとっては、それで十分かもしれない。  それでは、私たち神は一体何を心の拠り所にすればいいのだろうか?  困った時は誰を頼ればいい? 祈ればいい? 願えばいい?  神にだって、得意不得意がある。だからこそ何柱もの神がこの世に存在していて、その中で縁結びの神だとか学問の神だとか色々とカテゴリ分けがされているのだ。  そう、全ての神が全知全能というわけではないのである。それ故、人間みたいに時には悩んだり迷ったり、怒ったり泣いたり、意味不明な行動をとってしまったりもする。  そんな時、人間にとっての神みたいなものが、我々には存在していないのだ。  もしそんな存在がいたとすれば、"神さまの神さま"……ということになるのだろうか?  「ああ、神さまの神さまがいたらなぁ……」  いや、待てよ? よく考えてみたら、我々神の存在は、心の拠り所を欲する人間たちの想像の産物ではないのか?  だったら、私も"神さまの神さま"が居ると信じ込んでみるとしよう。  もしかしたら、同じことを考えている神が他にたくさんいるかもしれないな。
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