『私とスパゲッティと、彼のはなし』

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『私とスパゲッティと、彼のはなし』

 高校3年の冬ーーそれは、とても雪深い日曜日のことだった。  私は裕太と行きつけの喫茶店でスパゲッティプレートを食べながら彼の話に相槌を打っていた。  「いやぁ、流石に大学受験本番とあって緊張したけど、思ったより手応えあったよな?」  「うん、まあね……」  「最後の4問が連続で"3"になったから大丈夫かな? なんて思ったけど、参考書後で見たで確認したらそれで問題なさそうだったし、今日は安眠できそうだぜ」  「ははっ、よかったね。そんなことより、話題変えない? 2日も連続で問題用紙と睨めっこして疲れたし、しばらくは試験のこと忘れたいよ」  「おお、それもそうだな!」  昨日と今日の2日間、私たちは大学入学共通テストを受けていた。志望校は彼も私も同じ、東京第一大学の獣医学部だ。  いつもは学校終わりに店に入り、いつの間にか日が暮れるまで他愛ない会話をしていたが、受験勉強が忙しくなってからは約1ヶ月間ここに来ていなかった。  今日は共通テストという一つの節目を終えたお疲れ様会という名目で久しぶりに食べ慣れた温かいスパゲッティを食べに来ていた。  久々の彼との喫茶店での食事に昨日までは心躍らせていたのだが、今日の私はいつものように楽しい気分に浸れなかった。  私は自信満々な彼との温度差で硝子のように割れてしまいそうな心を隠すのに必死で、冴えたままの脳で一方的に喋り倒す彼への生返事を続けるだけの機械と化していた。  この店で過ごす時間がこんなにも楽しくなかったのは、今日が初めてだった。 * * *  春が来て、東京第一大学の校門をくぐったのは裕太ひとりだけだった。  獣医の道を諦めたくなかった私は予備校に通い、次のチャンスに賭けることにした。  「見てよ、これが東一大の学生証!」  「自慢? いいよ、今のうちにしとけば? 私だって来年には同じのを持ってるんだから」  一発で夢が叶った裕太と、叶わなかった私。  試験で分かれた明暗と"卒業"の2文字が2人の距離を引き離すのだろうと思っていたけれど、私たちの場合は案外これまで通りの関係性を保っていた。  「ねえ、裕太。ここでスパゲッティプレートを食べるの、しばらくやめにしない?」  「おいおい、試験への追い込みなら時期が早いだろ? しばらくっていつまでだよ」  「一年。来年の春までよ」  「嘘だろ? そんなに待てないよ」  「私は一度試験に落ちたの。こうやってのうのうと好きな相手と飯食ってる場合じゃないの。このままのペースだと今の環境に甘えてしまうから、私が受かるまでは距離を置いて欲しい……」  「今、"好き"って……」  「loveかlikeは言ってないわよ? とにかく、私が合格したら真っ先に裕太にメッセージを送るから、その時は絶対ここに誘ってよね?」  「わかったよ。またここでスパゲッティ食べるのを楽しみにしてる」  ファッション誌のモデルを真似てあまり似合ってない服に身を包んだ彼は、ソースのついた口元で必死に笑おうとしてくれた。 * * *  季節は巡り、約束の春が来た。    私は無事、寂しく辛い受験生活を耐え抜いた甲斐あって東京第一大学の学生になることができた。  「裕太、久しぶり。私受かったよ!」  「ふーん、良かったじゃん」  合格発表の直後に送ったメッセージはそっけない返信でさらっと流されてまい、それから入学式の後までお互い一切の連絡を取らなかった。    桜散る4月。修験者のような浪人生活を経て賑やかな環境への苦手意識がますます強くなっていた私は、サークルや部活の勧誘が盛んなキャンパス内のメインストリートを外れて学食の裏手の人が疎らな通りにいた。    「よお、久しぶりだね」  突然すれ違い様に声をかけてきたのは、1年の間にすっかりとお洒落な大学生2回生へと変身を遂げた彼だった。    「君、大学は自由なんだからもっと洒落た服着ればいいのに」  「え?」  1年ぶりに私を見て発したのは再会を喜ぶ言葉ではなかった。  大学デビューをした頃のダサかった自分なんて棚に上げて、私を批評し始めたのだ。  「はっはっはっ、裕太やめたげなよ。これ一応雑誌に載ってたコーデだよ?」  「服とは絶望的に合ってないけど、素材はまあまあいいじゃん。きっとそのうち化けるよ」  彼と一緒にいた男女はそれに乗っかって初対面の私にマウントを取るように茶化してくる。入学早々気分は最悪だ。  「ねえ、裕太。私との約束、覚えてる?」  私は腹を括って過去の話をぶつけてみた。  きっと、これが彼との最後の会話になりそうな気がしたから。  「ああ、スパゲッティプレートの話だろ? 大学生にもなってあんな安っぽい店なんて行けるかよ」  ある意味彼の返事は期待通りだったと言えるかもしれない。  「そうだ、今度俺たち駅近に新しくできたイタリアンバルに行くんだけど、そこで一緒にパスタでも食べないか?」  パスターーその3文字が私の心を深く抉った。  スパゲッティのことを態々パスタって呼ぶなんて、格好つけた感じがするよね……なんて笑い合いながら過ごした日々を、彼はもう覚えていないのだ。  「もういい。裕太が大学生活を謳歌してるようでよかった」  きらきらとした彼らの前で涙を流すのは悔しかったから、私はこれ以上ないというくらいの満面の笑みで別れを告げてその場を立ち去った。  これから先、校内ですれ違ったとしても一言も交わすことなどないだろう。 * * *  私はその夜、久々に喫茶店へと脚を運んだ。  「いらっしゃい」  店主はにっこりと変わらない笑顔で私を暖かく迎え入れてくれた。  「スパゲッティプレートひとつください!」  変わりゆくもの、変わらないもの。  これから新しい環境で生きて、いずれは社会という更なる新天地へと旅立っていく私は必然的に前者なのだろう。  けれども、全てが目まぐるしく変化していくのはとても怖いことでもある。  私はただ、何か一つ変わらないものの安心感が私は欲しかったのかもしれない。  「スパゲッティプレート、お待ち」  テーブルに置かれたできたてのスパゲッティは初めてこの店に来た時と変わらない見た目と香りをしていた。  私だっていずれは新しくできた友人や恋人に影響されてパスタを食べるようになるのかもしれない。  でも今は、どんなに洒落た店の高級なパスタよりも、ここのスパゲッティプレートが食べたい気持ちは揺るがなかった。  「いただきます!」 〆 ーーー モノゴタリードットコム お題「パスタvsスパゲッティ」で書いた作品
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