戦争とゲーム

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戦争とゲーム。 これを混同するべきでは無いのは、誰もが強く認識しているだろう。 しかし、テクノロジーの進化は著しく、ゲーム会社がリアリティーを追記し続けてゲーム作品を作り続けている現代となっては、その境界線は曖昧になりつつあると、私は思っている。 例えば、UAVやUCAV。 UAVとは、無人航空機全般の事を指す用語の略称である。 UCAVとは、UAVに攻撃能力を持たせた物と解釈して良い。 今回は軍隊が持っている無人航空機や、無人攻撃機にスポットを当てて、この話を完結させてみたいと思う。 まず大前提として言いたいのは、いかなる場合でも戦争やテロなどの紛争を正当化してはならないという事である。 だが人間は結果として、いつの時代も戦闘民族としての一面を排除していない。 人間に与えられた『考える』という行為は、神が人間に与えたとても素晴らしい能力である。 しかしながらその一方で、人は絶えず考え続ける事によって、いつの時代も人々の対立が絶える事はない。 そうは言っても、やはり人間は前途の通り、『考える事が出来る生き物』だ。 人間は常に自分達の生活をより良いものにしようと考えるから、その結果としてテクノロジーが進化を止める事もない。 そして遂に、人間はテクノロジーを進化させる事によって、無人で人を殺傷出来る航空機を作り上げてしまった。 最近では、この無人航空機を映画なとでもよく見かける事が増えたように思う。 だが、この無人航空機。 必要だろうか? 特に無人攻撃機。 これだけは絶対に存在してはならないと私は思う。 何故なら…… [攻撃される側は血を伴うが、攻撃する側に血は伴わないから] である。 攻撃される側が犠牲と苦労を重ねて撃墜した敵の無人攻撃機。 だが攻撃する側は、自身が操縦していた筈の航空機のコックピット映像が、自分のモニター画面から突然ブラックアウトするだけだ。 すると攻撃する側は、すぐに次の無人攻撃機を発進させ、先程の無人攻撃機を撃ち落とした人々を、今度は複数の無人航空機と連携しながら、一網打尽にしてしまえば良いだけの事なのである。 そう言った意味でも、テクノロジーの進化と言うのは、凄まじいと言わざるおえないだろう。 我々の生活のあらゆる物は簡略化され、今は地図を本で見る事も無くなった。 最初のうちは高価で買えなかった自動車のナビゲーションシステムも、今は全車に標準装備が出来るくらいに安価になった。 今回のテーマである無人航空機や無人攻撃機も、時が経てば価格は徐々に抑えられてゆくだろう。 ひょっとすると、これらは我々が車を買うような値段で販売される日が来るかもしれない。 車並みの値段で自分が操縦できる自家用飛行機が買えたら、それはそれは便利だろう。 しかし、それでも私は無人機には反対だ。 例えばの話だが、私が軍の指導者ならば、戦況が劣勢になっていくにつれて、ゲーム機と同じコントローラーを使って、実際の無人機を操縦出来るように改良するだろう。 そして、ゲーム機のコントローラーで操れるように改良された無人航空機を実際に使用する場合、この航空機の操縦を担当する者の年齢を、特に気にする事もないと思う。 「今回我々が開発したゲームは、実際に世界中で空撮された動画や静止画を元に、今まで以上の背景やリアリティーを求めて開発した物であり、我々が開発したこの新しいゲームを世に送り出すために、このゲームの最後の試験を君に手伝ってもらいたい」 そんな甘い言葉で子供の心を掴み、ゲームが得意な子供とその親を金で買収し、ゲームの最終テストと称して実際には無人機の操縦をさせる。 これが最も効率的な方法だし、私が軍の指揮官なら、そうする事に対する葛藤はないと思う。 戦争は大人だけで行わなければならないなんて言うルールは、実際に戦争が始まってしまえば、義勇兵や民兵と言う表現の括りで、いくらでも捻じ曲げてしまえるからだ。 しかしその環境を作り上げるためには、この作戦に参加する子供達は志願兵である必要があり、また最終的に役目を終える時も、正規軍の兵士では無く、民兵として終わらなければなければならない。 だから、これを募集して民兵として雇うのは、あくまで『民間企業』でなければならないが、それもどうにでも出来る問題だろう。 「君は我々の指示通りに、この部屋にあるモニターとゲーム機で、架空の戦闘機を操作すればいい。目標に接近すると画面に表示されているマーカーが赤く光るから、そうしたら○ボタンを押して敵に爆弾を落とすんだ。それを何度もやって、バグが出ないかの検査をして欲しいんだよ」 とでも言っておけば、子供達は喜んでゲームにかじりつくだろう。
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