その花に導かれて

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その花に導かれて

「ねぇ、甘利(あまり)先輩」  暗い夜道をひとりで無防備に歩く甘利先輩に駆け寄って、耳元に声をかける。  最近はこんなことを良くやるけれど、甘利先輩は相変わらず無反応。最初は冷たく睨んだり舌打ちをしたりしてくれていたのが、今では何もない。まっすぐ前を向いて歩き続ける甘利先輩は、それでも美しい。 「いつになったら私のこと、殺してくれるんですか?」  約束はない。けれどきっと、甘利先輩は私のことを殺してくれると思っていた。  あれからいろいろ考えた。世界中の誰にだって迷惑のかからない死に方は存在するのか。どれだけ考えてもどこかの段階で見知らぬ人が関わってくるのは確実だった。だけど、甘利先輩に殺してもらうのであれば、他に迷惑なんてかけずに死ねる、そう思ったのだ。  だって甘利先輩は人を殺すことを好んでいるようだし、その後は誰にも見つからないように遺棄することだってできるのだ。「美女連続殺人事件」では遺体に美しい化粧を施して、それから証拠を全て消して、満足するまでその場で美女を眺めてから帰るらしいけれど、それ以外では自殺に見せかけたり山奥に埋めたり、と、つまり甘利先輩は完全犯罪のスペシャリストなのだ。  だから――。 「君のことは殺さないよ」  甘利先輩の返答はいつもこうだった。まだまだ、私を殺してはくれなさそうだ。 「君は殺すべき悪人でもなければ、私好みの女でもないしね。殺したところで、私に利益はないんだよ」 「甘利先輩って、もしかして、私のこと嫌いですか?」 「うん、嫌い。ずっとずっと大嫌いだったよ」 「それなら……嫌いなら殺した方が良くないですか? だって視界に入る度イライラするじゃないですか」  甘利先輩は足を止めて大きなため息を私に吹きかけた。 「私はね、私が好きな女が死んでるのが好きなの」本気で呆れた顔をしている。 「君みたいに、全くかわいくも美しくもない、綺麗でもない女が死んでいようが、構わないんだよ」  はいはいそうですか。  私は呟いてから、むっと頬を膨らませてそっぽを向いた。少し前を歩く甘利先輩は恋人でも友人でもないから、そんなことをしても気を引けはしないのだけど。  じゃあ、と、私はひとつ思いついた。周りに誰もいないことを確認してから、甘利先輩にも聞こえるように大きく息を吸い込む。このまま叫んだら、甘利先輩は困るだろうなぁ。  私の思惑に気付いたのか、すごい勢いで振り向いた甘利先輩の瞳は、獲物を狩る猛獣のように見えた。両手が突き出されて、そのまま私の首を強い力で潰そうとしてくる。  それが、自分でも怖くなるくらい、興奮した。 「うっ……は、はは……わたしのこと、ころし、ます……?」  甘利先輩の顔から狩人の気配がすうっと消える。 「殺さないよ」パッと離した両手を顔の近くでひらひらさせて、私に見せている。「好みの女が血塗れで死んでるのが好きなんだから」  女性とは言え人殺しを趣味でやっている人間だ、想像の倍以上力が強い。危うく死んでしまうところだった。と思えど、甘利先輩もプロだから力加減くらいわかっているのだろう。 「じゃあ」  私は少し諦めかけていた。 「どうしたら殺してくれるんですか」 「だからね――」  足元に落ちていたガラス片を手に取り、躊躇うことなく甘利先輩の顔めがけて振り下ろした。 「私は君を殺さないし、君には私を殺せない」  ひらりと躱された。  やっぱり、とため息を吐く。  私は視線を落とした。と、色とりどりの花が視界に入ってきた。あれは、何という名前だったろうか。マリーなんとか、とか、メアリーなんとか、みたいな名前だったような。知識がないからその姿を見ても正確な情報が脳内から出てこない。  気になってしまった私は、道路を横切ろうとした。  でも、音も聞こえてこなかったし、こんなに暗いし、人気もないのに、何か来るかも、なんて考えるが訳ない。それも、こんな法定速度なんて言葉も知らなさそうな車が来るなんて、少しも思わなかった。  ふわりと身体が浮く感覚はあった。けれど、痛みは思ったより浅くて、まだまだ動けそうで――。 「先輩……? そんな、どうして」 「君が、しぬのは……みたくなかったから」  月の光に照らされたのは血塗れの私の身体ではなかった。道路に点々とついている血液と、そこから遠くに飛んだボロボロな甘利先輩の姿。  車は私の足もかすめたのか、痛みで立ち上がることができない。這うようにして甘利先輩の元へ近寄る。 「甘利先輩……」  それでもなお、甘利先輩は美しい。真っ白な頬をなぞり、真っ赤な唇に触れる。まだ温かいし、苦しそうだが息もしている。 「死にそうな先輩も綺麗」 「う、るさ、い……」  車の破片が甘利先輩の腹に深く突き刺さっているが、きっと今すぐ救急車を呼べば、助かる。 「素敵なお花を見つけたんです。美しい先輩に贈りたくて。先輩は……お花、好きでしたよね」  甘利先輩は静かに呼吸を繰り返すだけ。私の言葉に返そうとはしない。  今度こそ周囲に誰もいないことを確認して、それから夜空を見上げる。月が雲に隠れていくのを見つけた。だったら、本当に誰にも見られていないことになる。そうだよね。  苦しそうに空気が行き来しているその唇を、私の唇で塞ぐ。もう息なんてしなくていいんだよ、先輩。  甘利先輩との初めてのキスは、甘い鉄の味がした。  弱々しく私の肩を叩く甘利先輩のジャケットの中、背中の方から、先輩が愛用していたナイフを取り出す。ゆっくり顔を離し、それを甘利先輩の右手に握らせる。それから――。 「きみ、ほんとうに、さいあくだよ……」  苦しそうな辛そうなその中に、心底嫌そうな嫌悪を顔に浮かべながら、甘利先輩は口角を上げた。それが嬉しくて幸せで。 「えへへ。先輩、大好きですよ」  自分の腹のその場所から、ぬるぬるした液体が溢れ出すのがわかる。甘利先輩の右手にもそれが伝っていく。私たちふたりの転がるそこに、ふたりの血が混ざり合っていく。まるでカクテルを味わうかのように、コンクリートが飲み込んでいく。 「一緒に、死にましょうね」  甘利先輩に覆い被さるようにして意識を手放した私の左手には、二本の花が握られていた。
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