猫にクリーム

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   猫を飼うことになった。 「うちでは猫を飼えないんだ。優征君がかわりに飼ってくれないかな。そしたら、毎日会いに行くよ」  坂城さんが、そう言ったからだ。  小さい頃から猫が好きだった。家から歩いて5分の商店街に猫がいる。そのことを知った次の日から、ランドセルを家に置いたら、真っ先に商店街へと駆け込み、日が暮れるまで猫と戯れた。  生き物は飼いたくないと主張する母親を、必死になって説得するよりも、こうして自分から出向く方がずっと楽だった。  中学生、高校生、大学生と年を重ねても、俺は酒屋に通うことをやめなかった。店先に座り込んで猫と戯れながら、ばあちゃんの昔話に耳を傾ける。ゆったりとしたその時間は、俺の癒しだった。 「ご両親に怒られない?」  猫を大切そうに抱き、俺の家の玄関先に立った坂城さんが、小さな声で言った。  自分のかわりに猫を飼ってほしいなんて、初対面の俺に頼んだくせに、今頃になって心配するなんて可笑しな人だ。そう思った。 「大丈夫です。両親は父親の田舎に引っ越して、今いないんで」 「優征君は、こんなに大きな家で1人暮らしなの?」 「はい。でも、大きくはないですよ。入ってみます?」  チラリと坂城さんに視線を送ると 「じゃあ、お言葉に甘えようかな。この子とも、もう少し遊びたいし」  と微笑んだ。  その次の日から、坂城さんは仕事が終わると、家に来る様になった。決まって、月曜から金曜の18時過ぎに、インターフォンが鳴り響く。 「見て。買っちゃった」  坂城さんが家に来る度に、猫のお菓子やオモチャが増えていく。 「いい加減、買い過ぎですよ」 「そんなことないよ。猫ちゃんだって喜んでる。はい、これは優征君に」  差し出されたのは缶ビールだった。どうせなら、コーラの方が良かった、と思いながらも 「ありがとうございます。いただきます」  と、言って受け取った。ビールは苦いから苦手だ。だけど、せっかくもらったんだから、飲まなきゃ失礼だ。  猫に向かって、猫じゃらしを振っている坂城さんの隣に座り、缶のプルタブに指をかける。炭酸がプシュッと弾けた音に、猫が飛び上がり、目を瞬かせる。 「ごめん。びっくりした?」  そう問いかけると、猫はニャアとひとつ鳴き、お気に入りの毛布へと駆けて行く。 「音、怖かったのかな」 「そうかもしれないです。いつも俺と2人だから、基本的に静かだし」  そう言って、缶ビールを喉に流し込む。やっぱり、苦い。 「……2人じゃ、ないよ」 「え?」 「僕もいるじゃない」  坂城さんは俺の手から缶ビールを掠め取り、そのまま口をつける。間接キス——とか、考えてる自分に嫌気がさす。『何か』を期待するなんて、馬鹿馬鹿しい。 「それ飲んだら、帰った方が良いですよ」  ソファから立ち上がると、おもむろに手首を掴まれた。 「……迷惑?」 「いや、迷惑とかじゃないけど……。坂城さんには、俺と違って帰りを待ってる人がいるじゃないですか」  そう言って、坂城さんの指に嵌められた『それ』に視線を向ける。 「結婚、してるんですよね」  坂城さんはこくりと頷き、俺の手首を掴んでいる指に力を込める。 「優征君の言う通り、僕には妻がいる。だけど……」 「だけど、なんですか?」 「……妻は、猫が嫌いなんだ」 「奥様は猫が嫌いでも、俺は猫が好きですよ。だから、こうして飼ってる」 「うん。僕が、優征君に頼んだから、だよね。本当にありがとう」 「別に、お礼とかいらないです。俺もずっと猫飼いたかったし……。だから、会いたい時に、会いに来て良いですよ」 「本当に?」 「はい。でも、奥様に怒られても俺のせいにしないで下さいね」 「分かってるよ。優征君には絶対に迷惑かけない」  ふわっと微笑んだ坂城さんの眼鏡を外し、そのまま床に組み敷いて唇を奪う——そんなことを思い浮かべながら 「あぁ、腹減った」  と言って、坂城さんの手をやんわりと振り解く。  坂城さんは『他人(ひと)のモノ』だ。これ以上を望むのは、イケナイことだ。
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