猫にクリーム

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   猫が『猫』という呼び名を卒業した。 「僕たちがいつまでも名前をつけないから、『吾輩は猫である』の猫みたいに、名前はまだないって言ってるかもしれないね。そうだ、せっかくだし『なつめ』にしよう」  坂城さんが、そう言ったからだ。  何が『せっかく』なのかは分からなかったけど、坂城さんが嬉しそうだから、聞き流すことにした。 「漱石じゃないんですね」 「うん。なつめの方が女の子らしい響きがするからね。ねぇ、なつめ」  坂城さんの呼びかけに、なつめがニャアとひとつ鳴き、膝の上に陣取って身体を丸める。猫は気まぐれだと言うけれど、なつめは割と人懐っこい気がする。どっちかっていうと、坂城さんの方が自由気ままで猫っぽい。 「坂城さんって、猫みたいですよね」  愛おしそうになつめを撫でていた坂城さんが、弾かれるように顔をあげる。 「猫は、優征君でしょ」 「俺のどこが猫なんですか?」 「そういうとこだよ。いつまでたっても、僕に心を開いてくれないじゃない」  この人は、一体どういうつもりでこんなことを言うんだろう。『他人のモノ』である坂城さんに心を開いたところで、俺に何のメリットがあるっていうんだ。 「ちゃんと開いてますよ」 「じゃあ、どうしていつまでも敬語で話すの?」 「そんなの、坂城さんが歳上だからに決まってるじゃないですか」  坂城さんが何歳かは知らないけど、毎日ピシッと折り目のついたスーツと、パリパリにアイロンがかけられたワイシャツを着て、ピカピカに磨き上げられた革靴を履いてるんだから、キチンとした会社に勤めているサラリーマンなんだろうと思う。  もしかしたら、こんな『無害です』って顔をしながら、闇の世界を牛耳る悪い人だっていう可能性もなくはないけど……。たぶん、26、7歳の、普通のサラリーマンだと思う。 「優征君はハタチだっけ」 「そうです」 「じゃあ、7つも歳下だ。僕も優征君と同じ、ハタチだったら良かったのにな……。そしたら、もっと、違う関係になれたかもしれない」 「違う関係?友達、ってことですか?」 「うん。友達、ってこと、かな」 「友達になるのに、年齢は関係ないですよ」 「……そうだね。年齢は関係ないね。じゃあ、これは、どう?」  坂城さんが左手を持ち上げ、俺の顔の前にかざす。  永遠の愛を誓った証を指に嵌め、真っ直ぐに俺を見つめるこの人は、一体、何がしたいんだろう。さっぱり分からない。  知りたい。知りたくない。ただただ——心が乱される。 「坂城さんは、俺と友達になりたいんですか?」  俺の問いかけに、坂城さんが小さく首を傾げる。 「どうかな……。優征君は?僕と優征君が友達になることについて、どう思う?」 「別に……。嫌では、ないです」 「そっか。じゃあ、今日から僕と優征君は友達ってことで良いかな?」 「あ、はい」 「敬語もやめよう。友達、でしょ?」 「うん。分かった」 「よろしくね、優征君」  坂城さんはそう言うと、躊躇うことなく俺の手に触れた。手のひらから伝わる体温に、心臓がドクリと跳ねた時——やっぱり『友達』になんてなれるわけがない。そう思った。
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