《1》

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 私のすぐ隣で、対向車の運転手がウインドゥを下げた。仕方ないから、謝罪のポーズで頭を下げてやる。すると、こちらのウインドゥを拳で叩いてきた。『俺は若い頃、やんちゃしてたんだぜ』って皆に言って回っているような角刈りの中年男だ。この手の男は鬱陶しい。だから何だ、と言いたくなる。私の会社にも、そんな感じのくだらない男が数人いる。 「おい、謝罪はねえのか」と男が言った。  それを言うならおまえが謝れ、と私は思った。  後続車両が渋滞している。サイドミラーが(こす)り合った程度で、どうしてマウント取られなきゃいけないのよ。  こちらもウインドゥを下げ、むすっとした感じに言った。 「お互い様でしょうよ。この道は交互通行なんだから、自分だけ良ければいいと思ってんじゃないわよ。痛み分けでいいじゃん。警察や保険会社が入っても、おそらくそういう結論になるよ。傷を直せって言うなら、こっちも請求するからね。て言うか急いでんのよ。これで遅刻したら、今日の分の休業補償も請求するからね」  こんな男は別に怖くもなんともない。実際に暴力を振るったら、100パーセント相手が悪いのだ。その程度の度胸すら、どうせ持っちゃいないだろう。 「俺はな、昔やんちゃばかりしてたんだぜ。あんまり舐めた口きくと、張り倒すぞ」  私は固まってしまった。こいつ、本当にその言葉を言いやがった。だから何だと言ってやりたい。やんちゃしてたら偉いのか。違う。社会に迷惑をかけず、警察にも目をつけられず、まっとうに生きている人間が偉いんだ。実際に道を外れ、何らかの事情で改心した人はそういうことを言わない。半端にイキがって、未だに身の程を(わきま)えないやつがその言葉を使いたがる。現在進行形でやんちゃしているならまだマシだ。他人が確認のしようもない過去のやんちゃ話ほど鬱陶しいものはない。 「じゃあ警察行く? 警官の前でその話を披露すればいいじゃん。私はあくまで淡々と事情を説明するよ。保険会社を入れるって言うなら、そっちにも電話する。つーかさ、あんたが動かないことで他の人にすごい迷惑かけてるんだけど。私は痛み分けにしようよって提案したじゃん。ドラレコも撮ってるし、この会話だって記録されてるんだからね」  言うと、中年男は煙草に火をつけた。吸った煙を、ぷかあっと風に泳がす。 「気に入らねえ女だ。おまえ、どうせ男もいねえだろ。そんな風に強気な女は可愛くねえもんな。結婚もできず、寂しい人生を送るんだろうな。何なら、俺が相手してやろうか? せいぜい慰めてやるよ。気が向いたら、ここへ電話しな」  男が名刺を寄越してきた。──何だこいつ、寺の住職かよ。だったら頭丸めろよ。あくまで個人的な意見だけど、角刈りの坊主に何かを頼みたくないわあ。俗世に未練たらたらで、(だん)()から金を巻き上げようと言う(こん)(たん)が透けて見えるからね。
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