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しかしそう思ったのも束の間、男性は那津の隣に腰を下ろしたのだ。那津は驚いたように後ずさる。
「な、なんで座るんですか……⁈」
「ん? なんとなく。っていうかさ、気になってたんだよね、君のこと」
「……どうして……?」
すると男性は那津の眉間を指で押しながら、ニヤリと笑う。
「"不幸のどん底です"って顔してる」
「……!」
「ほら、当たりだろ?」
「べ、別にあなたに関係ないことです……! 私のことは放っておいてください……」
那津は強い口調でそう言うと、男性に背を向ける。しかしそれが逆効果だったようで、男性は背後から那津の両肩を抱くと、耳元にそっと息を吹きかける。
その瞬間、思わず声をあげてとろけてしまいそうになった。
「あはは。素直な反応。可愛い」
「なっ……!」
「気になってたっていうのは本当。このまま海に身投げとかしないか心配してたんだ。もし俺で良ければ話でも聞こうか?」
那津は驚いたように目を見開いた。この人は私の何を知っているの?
男性の手が緩んだため、ゆっくりと彼の方を振り返ると、彼は真剣な眼差しで那津を見つめていた。
「別に……聞いて欲しいことなんてありませんから……。それにどうして会ったばかりの人にこんな扱いをされなきゃいけないのかわかりません……」
泣きそうになりながら立ちあがろうとした那津の手を男性は掴む。
「ご、ごめん。変な意味はないんだ。君があまりにも辛そうだったから、吐き出すことでスッキリするんじゃないかって思っただけなんだ」
「……そうですか。でも知らない人に話すようなことではないので……失礼します」
那津は頭を下げると、今度こそ立ち上がり市街地に向かって歩き始めた。
拒絶しているのに、どうして関わろうとするの? 意味がわからない……一人にして欲しい。一人になりたいからここに来たのに……。
「あっ、俺は瀧本周吾。消防士なんだ。もし何か困った事があれば、いつでも声をかけて!」
那津の耳に彼の名前がしっかり届いたが、返事はしなかった。だって私、どうせ人とは関わらないもの。
* * * *
借りていたホテルの部屋に戻った那津は、二段ベッドの下段に倒れ込んだ。木の温もり溢れる部屋には、優しい木の香りが広がる。
昨日相部屋になった人は、朝にチェックアウトしていった。今日また誰かが入るかもしれないが、今はガランとした静かな部屋にただ一人。
寝返りを打ちながら、さっきの出来事を思い出す。
あの人は何だったんだろう……。急に声をかけてくるし、ちょっと軽い感じがあまり好きじゃない……。そうよ、いきなり声かけるって、女慣れしてるみたいで嫌。
海に行くのをやめようか。でも部屋にいるのとは違って、波の音を聞いていると何も考えずにいられた。
有休はたった一週間しかない……。いつまでも逃げていられないのもわかってる。この一週間で気持ちを切り替えないと。
それにあの人がいるとは限らない。そのために海に行かないという選択肢はなかった。
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