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朝早く、町の辻々にある無人の小さい神社から、ノブヤがバイクで賽銭を回収して回っていると、スタバの角の交差点で、生霊の気配を感じた。
生霊とは、人間の体から抜け出してさまよっている人の姿をした魂である。たいていはおとなしいが、なかには他人に害を加えるやつもいるから注意しなければならない。
気配をうかがいながら、ノブヤはバイクを停めた。ついでにコーヒーを買おうと、自販機のあるスタバの駐車場へバイクを入れた。
すると、生霊がスタバの入り口から出て来た。
手に持ったコーヒーにうっとりと鼻をうごめかしながら歩いてくる。
「ちぇ、生霊のくせにおしゃれなコーヒータイムしてやがんな」ノブヤは舌打ちした。
「おい、そこの生霊のきみ。俺は八幡神社の神主でノブヤって者だが、名前は?」
「さざれ」
歳は三十くらいだろう、きつめの目つきをした細身のショートカット美人だ。そして体操選手かとおもうほど引き締まった身体つきをしていた。
「あーきみは、どうして……」
ノブヤは職務上の質問をしようとした。社会に害をなすような生霊ならお祓いしなければならない。
「あら、ステキ!」
さざれはノブヤを無視してバイクに屈み込んだ。ノブヤのバイクは黒い骸骨のような125㏄カワサキである。
「これ、乗せてもらっていいですか?」
そう言うなり、ノブヤがダメダメと手を振るのにかまわず、バイクに跨った。そしてエンジンを噴かすと、駐車場のコンクリート地面をタイヤを軋ませてローリングした。前輪を持ち上げたり、急ブレーキをかけて車体をはずませたり、見事な操縦テクニックだ。ノブヤが唖然としていると、さざれはそのままバイクを路上へ出そうとした。
「おい、待てコラ!」
とびついたノブヤを引きずったまま、バイクは走り出した。
さざれにしがみついたノブヤは後ろから腰を抱くかたちになった、
「この女、男並みに腹筋が割れてやがる」驚いてさざれの胸をつかんでみた。まぎれもなく女だった。
前からくる風圧が凄いのでさざれの肩越しにメーターを覗くと150㎞出ている。
「おい、スピード落とせ!」
叫んだがもう遅かった。パトカーのサイレンが後ろから猛然と近づいてきた。
ガクンッとバイクが停まった拍子に、ノブヤは道端の草むらを高く越えて田んぼの向こうへ投げ出された。
しばらくして腰をさすりながら立ちあがると、道路でさざれと警察官が向き合っていた。
「ちー、反則切符かよ、悪くすると免停か」とほほと思ってバイクのほうへ目をやると、さらに悪いことにさざれが無茶な急停車をしたせいで、細身の車体がひん曲がってしまっている。
「俺の愛車が……」ノブヤは頭を抱えた。
こらしめてやると、道路へのしのし歩いた。警察官の前でさざれはひるむ様子もなく、ややもするとその堂々とした態度から、小柄なさざれのほうが警察官より大きく見えた。
「スピード違反したのはバイクでしょ、わたしは運転していただけだわ」
「いや、それが交通違反ですから」
理不尽な言い訳をしているところは、腹筋が割れていてもやっぱり女だ。
「じゃあ、どうしたら許してくれるの?」
さざれが色目を使うと、警察官の態度がかわった。
「い、いいですよ、見逃してあげても。デートしてくれたら……」
さざれの胸元へ目をやってごくっと唾を飲み込んでいる。
「からかっただけよ、やだ!」
ギャハハとさざれが笑った。
「あ、頭に来た」
警察官は真っ赤になって違反切符を書きはじめた。
警察を怒らせやがって、迷惑な女だ。罰金払うのは俺じゃねーか。
ノブヤは警察官を田んぼへ呼んで話をつけた。
「おまえ今職権乱用しようとしただろ、上にチクるぞ」
警察官は泣きそうな顔でノブヤを拝むと、パトカーを走らせてさっさと引き上げて行った。
「めいわくなんだよ、まったく。どこから来たんだよお前、そろそろ帰れよ」
郊外の田舎道にエンジンが掛からなくなったバイクを引いていた。
さざれは大きく手をふってゆかいそうに歩いている。
「おまえ生霊だし、実体の女のほうはどうしてるんだよ。自分のたましいを忘れるくらい大いびきをかいて寝てるのか」
突然、ドーンッと物凄い音がした。
巨大な黒雲が空に沸き上がり、雷を四方八方へ落としはじめた。
かつて見たこともない雲だ。異様に真っ黒く不気味な殺気を孕み、我が物顔に空を占領している。
雷が落ちた家々は焼かれ、炎を巻き上げた。
「ふつうじゃねえな」
とおもっている間に、黒雲から何か降って来る。鬼だ。赤鬼だの青鬼がバラバラと無数に降ってくる。
いかにノブヤが神職だといっても、こんな数の鬼に絡まれたらひとたまりもない。あわてて逃げようとした。
ところが、鬼たちは地面に到着する前に、叫び声を上げて消えはじめた。
驚いてふりむくと、さざれがマシンガンを掃射している。薬莢を散らして鬼を撃っていた。
「どこからそんなもん出してきた!」
ノブヤは仰天した。さらにさざれはロケットランチャーを担ぐと黒雲の中へ発射した。
黒雲は爆炎に焼かれて消えていった。もう鬼も降ってこない。
「いったい、さっきのは何だったんだ」
ノブヤはぽかんとして、明るくなった空を見上げていた。
「知りませんよ。攻撃してきたんだから敵だったんじゃないんですか」
相手が何者であれ、襲ってきたからやり返しましたという顔でさざれは笑っていた。
町へ向かってバイクを引いていると、田んぼに一羽の白い鳥が背中を見せて立っていた。近づいても逃げない。よく見ると朱鷺だった。黒くて長い嘴の顔に赤い日の丸を貼り付けたような色彩をした、精悍な姿の鳥だ。
佐渡ヶ島で放鳥してるってきいたが、東京郊外のこんな遠くまで飛んできていたらしい。
朱鷺は真向いにある夏の杉山をみつめて立っていた。いく筋かの霧が、青々とした山肌を気流に乗って上っている。
ながめているうちに、ノブヤはどこか懐かしい気持ちがしてきた。ずっと昔からその景色を知っているような気持ちだった。
「日本ていいですよね、わたしこの国に生まれてよかったわ」
そう言うと、さざれの姿は空へ上る霧のように消えて行った。
社務所でくつろいでいたノブヤがテレビを点けるとお昼のニュースだった。
自衛隊の大型ヘリが、内戦のつづくアフリカの某国へ救援物資を積んで、駐屯地を出発するところが映っている。
防衛大臣の激励を受けて搭乗する隊員たちのなかにさざれがいた。いや、さざれの本体というべきか。
女性隊員として彼女は現地で難民の子供たちの世話をするらしい。見送りの日章旗に敬礼している日焼けした顔が、意気揚々としていた。
「あー、あの生霊の本体はこいつだったか。戦闘地域へは近づかない任務のようだから心配はないんだろうが……」
ノブヤはショップから届いたバイクの修理の請求書をどうしようかとおもったが、しばらくは取っておいて後払いにすることに決め、引き出しにしまった。
「……くれぐれも無事に戻ってこいよ。バイクはお前が壊したんだからな」
窓を開けるとよく晴れていた。空に鳥の影があったが、どうやら朱鷺らしかった。
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おわり
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