母は祈る

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母は祈る

私は、どうしようもなく非力なただの猫だ。 突然現れた人間に我が子を連れていかれそうになっても助けることができず、嘆く事しかできない非力な猫。 私の子が連れていかれてしばらく経った。分かったことといえば、この家ではあの男が絶対らしいということだけ。いつも食事とも言えないようなものを運んでくる女は、突然やって来たにも関わらず我が物顔で居座る男を追い出そうとしなかった。むしろ怯えるように男の様子を窺っていた。 ただでさえ足りない食事もなくなった。これから私がどうなるのか不安ではあるが、それでも考えるのは連れていかれた我が子のこと。 あの子は食事を必要としない特殊な猫だった。 私もたくさん食べる方ではないけれど、あの子は次元が違う。文字通り何も食べなくても生きていけるのだ。 それに気づいたのはもう随分前のこと。1日2回女が持ってくるお水と氷。それから時々運ばれてくる美味しくないおやつ。全然足りないけど私は必死に食べた。じゃないと死んでしまうから。 それなのに、あの子はお腹空いてないから要らない、なんて言うことがあった。この環境でお腹が空かないなんてある訳がない。かと言って我慢してる様子もない。 不思議に思った私は、ふと随分前に母猫から聞いた話を思い出していた。それは私がまだ子供の頃に聞いた、御伽噺みたいなものだった。 曰く、百年に一度生まれると言われている猫がいる。その猫は食事の代わりに自分へと向けられた感情を食べる。負の感情ほど受け入れがたく哀れみは腹持ちが悪い。惜しみなく愛情を注いでやれば飢えることはない。 母が何度も何度も繰り返し言い聞かせるものだから酷く鮮明に覚えていた。そして成る程、と思った。私の子がそうだとするなら全てに納得がいく。私は本当にあの子を愛していたから、あの子に食事など一切いらなかったのだ。 でも、この場所でご飯がいらないだなんて知られたら特殊な猫として連れていかれてしまう。だから無理にでも食べて、隠して、あの子がもう少し大きくなって、ちゃんと物事が分かるようになったらちゃんと教えるつもりだったのに。もう、それも叶わなくなってしまった。 だからとても心配でならない。今まで、あの子は私からの愛情で生きてこれた。それなのに、ただ独りで捨て置かれてはお腹が空いてしまう。 不甲斐ない母さんでごめんね。 どうか、あの子が飢えることが無いように。私の代わりにあの子を愛してくれる存在が現れますように。 こんなふうに祈ることしかできない私は、やはり非力なただの猫なのだ。
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