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歌の神さまと医術の神さま
私は散歩を日課としている。
大広場にある箱庭を覗くためだ。
箱庭では人間たちがそれぞれの暮らしを営んでいる。
神々の中には人間と関わらない者もいるが、私はがっつりと関わっている方だろう。
神は文字や言葉がなくても意思を伝えることができるが、人間たちはそうではない。
箱庭には先客がいて、歌の神さまが悲しそうに項垂れていた。
ただごとではない。
いつもは頼まなくてもうるさいくらいに歌を聴かせてくれるのだから。
「文字の神、人間は何故争うんだろうね」
箱庭の片隅では、ひっきりなしに火の手が上がっている。
神々は決して万能ではない。
その中でもぽんこつな私は、答えを持ち合わせていない。
「私にはわかりません。文字は理屈です。こんな時は何の力もない。歌の神さまでしたら、何か方法をご存じかと思っていたのですが……」
歌の神さまは首を横に振った。
「僕もどんな時でも歌さえあればと考えていた。けれども、届かない……」
次の瞬間、ぐらりと歌の神さまの身体が傾いだ。
頭を打たないように支えるのが精いっぱいだった。
「誰か!こちらにお医者さまはいらっしゃいませんか!!」
叫ぶのなんて久しぶりだ。
「どうしたのだ?」
いくら何でもこんなに都合のいいことはないと思ったが、名乗り出て下さったのは医術の神さまだった。
「医術の神さま、どうか歌の神さまをお助け下さい」
「そう心配することはない。我ら神は病にかかることはないし、例え傷を負ってもすぐに塞がるゆえな」
医術の神さまの存在意義は、と考えかけてやめた。
神が相手では思考は筒抜けだ。
「この力は神ではなく人間を救う力ゆえ。神に不調があるとすれば人間に信じてもらえなくなるか、自分自身の力を疑った時だ」
「それじゃあ……」
「歌の神は繊細なのでな。人の世に戦や災害が起こるたびに、自身の無力さを責め心を痛めるのだ」
おまえは図太いと言われているような気がしなくはないが、それはどうでもいい。
「歌の神や。人々は歌の力を疑ってはおらぬ。今は届かぬかもしれないが、必ずその力が必要とされよう」
歌の神さまの蒼ざめた顔に、血の気が戻ってきた。
「神につける薬はないが、そうだな、文字の神。歌の神にふさわしい文字を一つ書いてもらえぬか」
私は懐から筆と紙を取り出した。
筆の穂先には息をするように墨が満たされる。
無茶ぶりではあるが、文字に関することならば私はためらうことがない。
「こちらでいかがでしょう。聲。歌の神さまの持つ至宝です。争いや災い、病の渦の中にいる人々にも必ず届きます」
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