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時の神さま
とんでもないことになった。
私の店に時の神さまがみえられた。
最高神さまも一目置く、超有名な神さまだ。
語彙力がまったく働いていないのはわかっている。
時の神さまはたいそう厳格な方らしい。
私が時計を持っていないことを知ったら激怒されはしないだろうか。
時の神さまはお供も取り巻きも連れていない。
不思議なほどに何の威圧感もないことに、私は胸をなでおろした。
時の神さまは珍しげに店内を見回している。
「あの、本日はどにょような」
噛んだ。
時の神さまはふわっと微笑まれた。
「わたくしに構わず仕事をして下さい。何を書くかはお任せします。わたくしは誰かが仕事をしているところを眺めるのが趣味なのです」
「は、はあ、それでは……」
変わった趣味をお持ちだ。
私は一旦文字を書き始めると時間を忘れてしまう。
はっと気づくと、時の神さまはうとうとと居眠りをしていた。
お忙しい方をどれだけお待たせてしてしまったのだろう。
その時、鳩時計の神さまがぽっぽぽーと鳴きながら走り込んできた。
「時の神さまはどこにいらっしゃいますか?すでに三時間二十一分四秒が経っています!これ以上は待てません。文字の神さま、時の神さまをお呼び下さい!」
私はそちらに、と言いかけて驚いた。
時の神さまはどこにもいない。
「こちらではなかったのですか……失礼しました!」
鳩時計の神さまが走り去ったのを見て、くすくす笑いながら時の神さまが現れた。
まさに神出鬼没。
「鳩時計の神は有能だけどせっかちでいけませんね。それにしても、わたくしが居眠りなんてできたのは七百年ぶりでしょうか。時計が正確であればあるほどわたくしは時に縛られますからね。ここのところ人の世が慌ただしい。よい休養になりました」
「時の神さま、こちらを……」
私は『閑』の文字を差し出した。
「何もせず静かにいる。これはわたくしにとっては何にも代えがたいものです」
いつの間にか、机の上に数えきれないほどの『珠』が積んであることに驚いた。
「お代は一珠です、それ以上は受け取れません」
「取っておいて下さい。こんなものではとても足りないのですけれど。文字の神、素晴らしい文字と時をありがとうございます」
時の神さまが去ったあと、私は『珠』を見てため息をついた。
手足の指を使ってニ十数えたところで放り出す。
それ以上は数えきれないし使いきれない。
私は人の世に思いを馳せた。
誰もが欲に泣かぬように。
歌を忘れてしまわぬように。
優しい時を過ごせるように。
【完】
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