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2.
自己紹介が遅れてしまった。
わたしの名前は鴻那由多。
いつもならば同居人で、便利屋を営んでいる柴本光義の奇妙な日々を観察しては記録を付けている。
ところが、わたしたちが暮らす家の持ち主であり、海の向こうからこの報告を楽しみにしている眞壁氏から
『たまには柴本のことじゃなくて、君のことも教えてよ』
と言われ、どうしたものかと悩んでいたところだった。
平凡で退屈なわたしの毎日など、わざわざ語るに値しない。つい先日まで、本当にそう思っていた。
けれどもそんなことを言い続ければ、わたしだけではなく周りの人たちのことも貶めることになってしまう。
最近、ようやくそのことに気付き始めた。
**********
渡部係長はわたしと猫塚くんをじろりと見てから、大げさにため息をついた。
止められないタバコと大好きな缶コーヒーのせいで息が臭い。
「猫塚くんも、入ってどれくらい経つ? いつまでも他人におんぶにだっこじゃ話にならないぞ」
「はい。申し訳ありません」
入社して1ヶ月足らずの新人に言う言葉ではない。
助け舟を差し出したいところだけれど、藪を突いて蛇が出てくるだけになりかねないから恐ろしい。
「まぁ、冗談は置いといて。
新しく入って来たのが自由気ままな猫虎族って聞いたときにはどうしようかと思ったよ。
滅茶苦茶に引っかき回すんじゃないかってね。あはははは。でも君、意外としっかりしているよね」
どこに冗談の要素があるのか分からない言葉に続いて、明らかな種族差別発言。
さすがにこれは抗議せねばと考えるわたしの横で、猫塚くんは
「はぁ。ありがとうございます」
顔に貼り付けた笑顔に反し、尻尾は左右に大きくぶんぶんと揺らしている。明確な拒絶のサイン。
終業間際に無駄話に付き合わされるのは、どこの誰だろうと嫌に違いない。
「で、まぁそんな頑張り屋の猫塚くんなら、これをやってくれるよね」
厚さ5センチくらいはありそうなA4紙の束を、机の開いている場所にどすんと置く。
「えっ」
呆気にとられるわたしと、明らかに生気をなくした猫塚くんなど気に留める様子もなく
「それ、明日までに纏めておいてくれ。朝イチの会議で使うから。それまでに頼むよ」
それだけを言って颯爽と去って行く加齢臭もとい係長の背中に、帰り道に落ちているうんことか踏んでしまえと心の中で念じた。
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