猫里町のある日の話

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「ずっと空き家だったから、びっくりしたよ。きみが勝手に住み着いてるのかと思った」  ぼくがそう言えば、ルナと名乗ったその子は朗らかに目を細めて首を振った。 「わたしの家族、三日前にこの家に引っ越してきたの。知らなかった?」 「知らなかったなぁ。ぼく、この数日は家のお手伝いで忙しかったから」 「家のお手伝いをしているの? すごい、えらいね」 「そ、そうかな?」  いつも友達と遊び場にしていた空き家の庭にルナちゃんが座っているのを見付けて、つい声を掛けただけだったのだが、褒められたぼくはちょっと得意になって、「その庭に僕も入っていい?」と訊いてみた。もっと話してみたいと思ったのだ。  するとルナちゃんは快く承諾してくれたので、塀の内側に入り込んで彼女の隣に座った。もうここで友達と鬼ごっこやかくれんぼをして遊べないのは残念だけれど、空き家じゃなくなったのなら仕方ない。 「ぼく、喜一っていうんだ。よろしくね、ルナちゃん」 「きいち?」 「うん。喜ぶに漢数字の一で……ああごめん、漢字なんて分からないよね」  話しながら、ぼくが声を掛けるまでルナちゃんがそうしていたように、空を見上げてみる。高いところを鳥が飛んでいた。 「わたしときいちが話してるところ、わたしの家族が見たらビックリするだろうなぁ」 「猫と会話できる人間は少ないからね。この猫里町には結構いるけど……」 「わたし、話せたのはきいちが初めてよ」 「ぼくが? それは光栄だな」  そう笑ってから、ルナちゃんの首元に目をやる。まだら模様の小さな体に似合わない、大きくて頑丈そうな首輪が付けられていた。 「ぼくも首輪とリードで繋がれてる子は初めて見たな……。なんだか犬みたいだ。それはどうして付けられているの?」 「だって、飼われているもの。それにわたしはよく憶えていないけど、昔、お家から逃げちゃったこともあるみたい」 「飼われるのも色々と大変なんだね。この町には自由な子が多いから知らなかったなぁ」  そんなことを話していると、ルナちゃんのお腹が小さく鳴った。ルナちゃんは恥ずかしそうに、まだら模様の小さな身体を縮める。赤い首輪から垂れるリードが地面を擦った。 「朝から何もたべてなくて……」 「えっ朝から? 可哀想に。家族は今いないの?」 「いないよ、お仕事いそがしいもん」 「きみのご飯はどこに仕舞ってあるのかな。棚やテーブルにあって届かないのなら、ぼくが取ってあげるよ」 「だめだめ、勝手にたべたら叱られちゃう」 「ご飯の用意を忘れるなんて、きみの家族はおっちょこちょいだなぁ。時間が経てば自動でご飯が出てくるマシンがあるよって、きみの家族に教えてあげなきゃ」 「そんなものがあるの? きいちは物知りなんだね」 「ぼくのお姉ちゃんの方が物知りだよ」 「お姉ちゃんがいるの?」 「うん。ぼくとお姉ちゃんは神社のお爺ちゃんに育てられてさ、だから一緒に神社のお仕事を手伝ってるんだ。友達もたくさん遊びにきてくれるんだよ」  ルナちゃんは寂しそうな表情で俯いた。 「楽しそう。わたし、お家から全然出してもらえないから羨ましいな」  ルナちゃんはまだ小さな子どもだ。彼女くらいの大きさの子はみんな外で遊びまわっていることを知っているので、ぼくは彼女を可哀想に思った。 「ルナちゃん、今度ぼくの神社に遊びにおいでよ」 「えっ」 「ぼくの友達も呼べば、みんなきっと遊び相手になってくれるよ」 「でも、家族に怒られちゃうから……」 「それじゃぼくのお爺ちゃんから、ルナちゃんの家族に伝えてもらおうよ。お爺ちゃんが頼んだら、ルナちゃんの家族もきっと許してくれると思うよ」 「ほんと? ほんとに?」 「うんうん。ぼく、今から帰ってお爺ちゃんに話してくるね」  期待に満ちた顔で此方を見つめるルナちゃんににっこりと笑いかけて、ぼくは庭を後にした。 「おう、喜一じゃねぇか」  しばらく歩いていると、後ろから声を掛けられた。 「ナツくん」  声の主は、この町の駐在所に住むナツくんだった。瀬下さんもいる。  ナツくんはそれなりにしっかり者だがどこか抜けていて、可愛い子を見掛けると必ず声を掛けちゃうところがあるけど、ぼくのお兄さんみたいな存在だ。そして頼り甲斐のある立派な警察官である。  瀬下さんは、ナツくんの相棒みたいなお爺さんだ。挨拶をすれば、にこやかに返してくれた。 「ナツくん、駐在所にいなくていいの? お仕事は?」 「ばっかおまえ、見ろこの自転車を。パトロール中なんだよ俺は。ところで寿美子ちゃんは? 神社にいる?」  寿美子ちゃんというのは、ぼくのお姉ちゃんのことだ。 「たぶんね。でもナツくんが来ても相手しないと思うよ」 「おまえも辛辣に育ったもんだ」  哀愁を漂わせるナツくんと、相変わらず微笑んでいる瀬下さんに別れを告げて神社に戻り、ぼくは寿美子姉ちゃんの許へ向かった。ルナちゃんをここに連れてきても良いか、お爺ちゃんに頼む前に、まず寿美子姉ちゃんに聞いてみようと思ったのだ。  窓辺で微睡んでいた寿美子姉ちゃんは、ぼくの話を静かに聞いてくれた。そして一言。 「ナツに報せましょうか」 「え? どうして?」  ナツくんはああ見えて忙しい。それに、暇があれば寿美子姉ちゃんをご飯に誘うナツくんがぼくは好きじゃない。ぼくの大事な寿美子姉ちゃんが取られてしまいそうで怖いんだ。  でも寿美子姉ちゃんがお爺ちゃんに説明し、お爺ちゃんが電話をかけたので、彼等はすぐにやってきた。 「清坂さん、どうもこんにちは。喜一はさっきぶりで、寿美子も相変わらず元気そうだな」  瀬下さんが朗らかな笑みを浮かべてぼく達の頭を撫でる。瀬下さんはベテランの警察官だけど、制服を脱いだらただの穏やかなお爺さんに見えてしまうようなひとだ。清坂さんというのはぼくのお爺ちゃんのことである。お爺ちゃんはこの猫里神社の神主なのだ。  さっき道端で会った時と同じく、瀬下さんの自転車の前かごに乗っていたナツくんは、すらりとそこから降りて着地した。 「寿美子ちゃん、俺に相談があるって聞いたけど!」 「ナツは今から喜一が話すことを瀬下さんに伝えてくれたらいいから」 「なんだ。俺、通訳かぁ」  ナツくんはちえっと舌打ちをした。猫と会話できる人間は少ない。瀬下さんは猫と会話できる側の人間だが、彼の愛猫であるナツくんの言うことしか理解できないのだ。  ぼく等のお爺ちゃんはすべての猫と会話できるから、本当はお爺ちゃんから伝えてもらっても良いのだが、どうせなら人間にできないやり方で捜査できるナツくんにも報せた方が早いからと、寿美子姉ちゃんは警察官としての瀬下さんに用がある時は必ずナツくんに通訳を任せていた。  そしてぼくがナツくんに、ナツくんが瀬下さんに、引っ越してきたばかりのルナちゃんの話をした。ぼくと──つまり猫と話せる五歳の人間の女の子の話だ。  数日経ち、ぼくはルナちゃんが保護されたという話をナツくんから聞いた。  ギャクタイとかネグレクトとかジソウとか、よく分からない単語が出てきたので、やっぱりよく分からなかったけど。とにかく瀬下さんとナツくんが色々と調べたり聞き込んだりして、ルナちゃんはやっと施設で生活できることになったらしい。ぼくという猫の証言だけじゃ警察もジソウも動けないんだってさ。 「俺も瑠奈ちゃんと少し喋ったが、体中の痣が痛々しくて見てられなかったぜ」  アザというのはルナちゃんの体にあった、あのまだら模様のことらしい。 「ルナちゃんと、この神社であそぶ約束をしていたんだけどなぁ」 「喜一が行ってやればいいじゃねぇか。ちょっと遠いが、ま、道おしえてやるからさ」 「ほんと? ぼく一人じゃ遠出できないし、寿美子姉ちゃんと行こうかな」 「寿美子ちゃんと? なら道案内してやるよ!」 「いらない!」
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