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三味線を弾く。弾くというより叩く。撥でもって、三味線の小ぶりで四角張った胴を叩く。
ヒヨドリの凹尾にも似た平たい撥は、その白い土台もろとも三本の弦を震わせ、音の塊をさらっていく。
響きを生むのは、胴の表と裏に張られた二枚の白い皮。
少しのざらつきと少しのなめらかさを併せ持ったそれは、和紙のようであり布地のようでもあり、しかしその実、一つのいのちであった。
暮れゆく時、粗末な造りの作業場で一人過ごす与助の手元を、入り込んだ早春の夕陽が染めた。
その両掌の中に楽器の姿はない。与助はいつからか幻の三味線を、夢想の如く奏でるようになっていた。
三味線という存在に関しては、己を産んで間もなく没した母を理解するより以前から、骨身に沁みて知っていた気がする。
けれど、代々続く生家の家業が意味することを、おれはある年頃まで考えようとはしなかった――。与助の思考はそこに達すると、決まって断ち切られた。
真に三味線を奏でられたら、少しでも音を発することができたらどれほど良かっただろうと思う。
否、それもまた道理の立たぬこと。与助の手掛けた素材を載せた三味線など、ここには一つも在りはしないのだ。
せめてもの慰みに、頭の中で幻の三味線を弾くよりほかはない。己が加工した猫の皮が張られた、三味線を。
一人きりの作業場は、与助以外のすべてが死に絶えたかのように静かだった。
傍らの樽には、昼間、通いの職人らと脱脂作業を行った皮――つまり生き物の成れの果てが、液体に浸漬されている。
作業工程の中でも一番の力仕事を終えた早上がりの日は、こうして物思いに気を取られがちだ。
三味線として大衆の面前で音を打ち鳴らす以前のかたちであり、猫として陽光のもと生を振り撒いた果てのすがたでもあるそれは、過去も未来も映さぬ純粋な白さを湛えていた。
三味線の胴を覆う素材には、猫の胸から腹の辺りの皮が用いられる。犬の背中の皮も、質は劣るが猫皮の代替として、稽古用楽器の素材となった。
これは、三味線を作るため猫皮を加工する家に生まれ育った青年・与助の噺。
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