三味線

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 その営みがいつの頃より始まったものなのか、明治の御一新も落ち着いた時世に生を()けた与助には見当がつかぬ。  しかしそれが世に必要とされてきたのは確かなこと。そして、親父の職はいずれ自分の職になる。  それは与助にとって幼少の頃から承知の事柄であった。  学級で一等怜悧(れいり)仙太郎(せんたろう)は、軟弱なおやっさんに(なら)い、養蚕(ようさん)農家を継ぐ。年中鼻水を垂らした丑松(うしまつ)はあれで、地主の座に収まることとなる。  卑近な例を見ても(かわず)の子は蛙で、己がその定めの枠外へ乗り出すなど考えるはずもなかった。  親父はその一連の仕事に熟達してきた以上にこなれた口ぶりで、おれはわかんね、という言辞をよく持ち出した。  己が手掛けたその素材が如何(いか)なる音を出し、如何なる人々によって持て成され、如何なる価値を生み出すのか。そういう高尚な事は、おれはわかんね。  ただ仕入れた動物の皮から毛だの血だの脂だの余分なものを除き、引き伸ばして、一抱えほどの木枠に張ることができる状態にするだけの生業(なりわい)。  命から音への大きな流れにおいては仲立ちでしかなく、自らの仕事が手を離れた後には縁がない。  けれども質の良いものはわかる。それは、完成品の声を聞き届けることなく、この小さな村で一生を終えていった先祖がみな熟練してきた感覚だった。  苦労を重ねてきた親父や祖父と比べ、学校に通わせてもらい家業には遅れて従事することになった与助でさえ、その漠とした手応えを身につけるまで然程(さほど)の時は要さなかった。  与助、おまえにわかるか。一度はお天道(てんと)様のもとでのさばった命の膜が、静かに職人のおれらへと訴えかけてくるこの息遣いを。  後世、たとい人の手で似たような材を生み出すことができるようになったとて、それは所詮まがい物だ。  親父は作業場で、そのような事を与助に語った。  張り詰めた皮に力強く添わされた(しわ)の多い掌は、()だ少年の与助にもわかる無二の(きら)めきを()たしていた。
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