感情を呼ぶ。

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『喜びを呼べ!』  僕は脳内で叫ぶ。するとその呼び掛けに呼応するように、みるみる内に身体の奥底から『喜び』と呼ばれる感情が湧き上がった。  意識せずとも口角は上がり、体温も上昇し、身体がそわそわと落ち着かず瞳が煌めく。  朝起きて枕元にクリスマスプレゼントを見付けた時のような、努力した結果目標に到達した時のような、一気に気分が高揚する感覚。これが『喜び』。 『寂しさを呼べ!』  僕は脳内で再び叫ぶ。すると今度は『喜び』から一転、心は『寂しさ』へと支配される。色で言うなら黄色から青に一気に塗り潰されるような感覚。  頬が痛くなる位上がっていた口角は下がり、視線は伏せられ、表情は翳る。心臓の真ん中が締め付けられるような、冷たい鉛を落とされたような、嫌な感覚。  今までそこにあったはずの温もりが消え失せて、ぽっかりと穴があくような感覚。これが『寂しさ』。  その後も場面に合わせて、僕はひたすら叫ぶ。 『楽しさを』『切なさを』『苦しみを』『妬みを』『嬉しさを』『怒りを』『ありとあらゆる感情を呼べ!』  僕は普通の人のように、反射的に感情が表に出ては来なかった。  勿論、感情が存在しない訳ではない。  ただ、引き出しの奥に仕舞われているような、アプリのようにそれと決めて起動しないと始められないような、その状況に合わせた感情を選択する一手間が必要だった。  昔からそうだったので、これが人と違うのだと知った時には、とても不思議だった。  感情を選ばずとも勝手に出てくるなんて、不便極まりないのではないだろうか。  例えば、皆が悲しんでいる空間で一人笑い出す奴が居ればそれは異質だ。けれど勝手に出てくるのならその可能性だってある。逆に皆が楽しくて笑っている中で、怒る奴も居るのだろう。  感情に伴う反応は、周囲とのコミュニケーションの一種だろうに。  それが勝手に出てきてコミュニケーションを阻害して関係を悪化させかねないなんて、どうなっているのだ。  感情というのは、それに伴う身体や表情の反応というのは、まず脳で最適解を判断してから、呼べば出てくる仮面のようなものではないのか。 ******
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