2007年 春

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 私のピアノが騒音問題になってしまったのは、私が大音量でリストやらショパンやらを弾きこなせるようになってから。  武蔵川(むさしがわ)音大附属高校を卒業して、かなりピアノの腕前を上げてからのことだった。 「今更これから防音に投資したって、その投資した分を取り返せるのか? 300万円支払ったって、もとを取れないんじゃないか?」  こんなふうに両親が考えてしまうのも、分からなくはない。  実家のマンションに防音が施されることは、その先もずっとなかった。  階下のお宅も子どもがいる家族だった。そこの父親が我が家の玄関先で「出るとこに出たっていいんですよ!」と怒鳴っていた、その怒声(どせい)はずっと記憶に残っている。  当時は、母親から階下のお宅の話をとめどなく聞かされたものだった。  階下(した)のお子さんの気持ちが落ち込みがちだと電話で言われる、そうなったから急に騒音問題として言い出したんじゃないか? とか、母の愚痴はどろどろと鬱屈していて救いがないと思った。  ずっと問題にならずうまくいっていたことが、突如(とつじょ)大きな問題になってしまったこと。私の母はその変化に耐えきれなかったんだろうと思う。  私も耐え(がた)かったけど、母は現実を受け入れて認めることもできなかった。  実家でのピアノ練習は、グランドピアノが置いてある有料の音楽スタジオを予約し、電車と徒歩で片道1時間かけて通うしかない。それ一択だった。  音高(おんこう)を卒業してから音大受験の準備期間は、来る日も来る日も音楽スタジオに電話し、グランドピアノが置いてある貴重な一室の空き時間に合わせて通う毎日になっていた。  実家にクルマはない。両親は運転できないし、実家のマンションには駐車場がない。昭和に建設されたマンションには、駐車場がないこともあるみたいだ。  これからは防音アパートに住んで、22:30まで思い切り家でピアノを弾けるなんて、それはもう楽しみで楽しみで仕方なかった。  できることなら、実家には2度と帰りたくなかった。
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