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講義中に度々、樋口先生の携帯電話が鳴ることがあった。
普段は無視され、そのまま講義を続けていたけれど、たまに出られていた。「普段は講義中の電話はとらないんですけどね、これは出ないとヤバいので」と前置きして慌ただしく教室を出ていき、しばらく戻ってこられないこともあった。
樋口先生の歳の頃は、50代くらいだろうか。髪が黒々と豊かだったからそう思うけど、背筋は丸く曲がっていて捻れるように傾いていた。
いつも片足を引き摺っていて、杖に頼りながら歩いておられた。
身なりはボロボロで清潔感はなく、シャツがだらしなくスラックスから飛び出し、顔の髭もぼうぼうに生え放題だった。
何でもピアノで弾きこなして、尽きぬ音楽の世界が広がる先生なのに、失礼ながら見た目は惨めなほど落ちぶれていた。
怒涛の喋りには吃音が少し混じっていた。何らかの疾病か障がいをお持ちだったのかもしれない。
でも一度講義を受ければ誰だって分かる……樋口先生の世界がどこまで広がっているのか全く見えなくて、ただただ圧倒されるに違いないと思う。凄い先生だった。
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