2007年 春

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 自宅にグランドピアノがあっても、防音設備が整っていなければ正直あまり意味がない。……いや「意味がない」だとちょっと言い過ぎかもしれないけれど、近所に迷惑をかけてしまうから、ピアノを弾く暮らしが頓挫(とんざ)する可能性も大きいと思う。  元から防音が施されている高級タワーマンションや、庭が広くて近隣(きんりん)と離れた一戸建てに住めるならともかく、普通の分譲マンションだったら防音工事が必要になる。  音大の受験科目にあるソルフェージュは、渋谷(しぶや)のタワーマンションに住む先生に習っていた。  ソルフェージュ(ソルフェ)では音楽を聴いて楽譜に書き取ったり、楽譜を見てすぐに弾いたりと、音楽の基礎的な勉強を広範に学ぶ。  音大や音高の受験では必須の科目になっている。  ピアノを師事していた岸久保先生に紹介されて、逗子から渋谷まで電車に乗って隔週で通っていた。  ソルフェの先生が住むタワーマンションでは、22階の素晴らしい眺望のリビングに、スタインウェイのグランドピアノが置いてあった。  スタインウェイはピアノのなかでも最高峰にあたる世界三大ピアノブランドの一つにあたる。  ベーゼンドルファー、ベヒシュタインと並んで世界三大ピアノと言われている。  スタインウェイは一台が一千万円以上はする。 「防音は必要ないのよ! 元々ここは防音されているのよ」  ソルフェの先生は明るく言っていて、それはそれは驚いたし、(うらや)ましかったものだった。  タワーマンションの中に入ると、外の音がふっと消える。静けさに特別感がある。音も光も外界と遮断された内廊下(うちろうか)にはクラシック音楽が穏やかに流れている。  建物の全体に防音が施されているから、このような「無音の高級感」も醸し出されるんだと思った。
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