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村田京子はこれまでの25年の人生で、最大級の危機を迎えていた。
「どう思う?」
上司の相葉雅之はそう言うと、顔を覗き込んでくる。
「え、ええっと、ですね……」
京子は耳まで真っ赤にしながら口籠る。
どうかいい歳をしてカマトトぶるな、と怒らないでやっていただきたい。
何せこの相葉という男は、超人気アイドルと1文字違いの名前の持ち主なだけあり(?)、そんじょそこらに転がってる脂ぎった中年男どもとは、何もかもが明らかに違うのである。
まず、相葉は京子が勤めている「ヒカル出版社」の編集長だ。
32歳にして「編集」の「長」なのだから、いわゆる「デキる男」だと表現して差し支えがないだろう。
しかも「天は二物を与えず」という諺を真っ向から否定する存在で、整った顔立ちの「国宝級イケメン」。鼻の頭に脂など見当たらずサラサラだ。だからと言って乾燥してるのではなく、肌の艶はすこぶる良好である。
おまけにこれで気配りができて、京子を含めた部下たちからの信頼も厚い。
思わず「おいおい、天は二物を与えないじゃなかったのかよ! 話が違うじゃねぇか!」と文句の1つでも言ってやりたいところである。
そんな「国宝級イケメン」が、彼氏イナイ歴=年齢の京子の目の前にいるのだから、彼女のウブな反応も納得していただけよう。
加えてもう1つ、京子を危機的な状況に追い込んでいることがある。
相葉はスマートフォンの中にあろうことか「マグダラのマリア症候群」なる怪しげな小説を表示させ、手渡したのである。そしてそれを読んだ京子に「どう思う?」と聞いているというわけだ。
「どう……と言われますと?」
ひとまず探りを入れてみることにした。が、その意図は見事に空振りに終わってしまう。
「村田の率直な意見が聞きたいんだ。遠慮なく言ってくれ」
そりゃそうだ。
そのための「どう思う?」なのだから。
京子は頭の中で思いを巡らせた。
(どう言えば正解なんだ? どう言えば編集長に嫌われないんだ?)
悩んだ末、本音とは裏腹な答えを選択することにした。
「この『マグダラのマリア症候群』という小説は、少し愚痴っぽいです」
相葉にスマートフォンを返す。
「女性のヒガミが全面に出ているというか──はっきり言って、私は好きではありませんでした」
相葉は顎に手を当てて考え込んでしまう。
(しまった! ここは褒めるべきだったのか……!)
「でも、でもですね、編集長!」
慌てて取り繕おうとしたら、相葉は表情を明るくさせたのだった。
「だよな! 俺も同じ意見だったんだよ!」
手に持ったスマートフォンを軽く揺する。
「清家がな。これは絶対にイケるって言うんだよ」
清家とは京子の先輩で、相葉の同期の女性編集者のことである。
「でも俺はどうだろうなと思っててな。で、女子社員たちに意見を聞いて回ってたんだよ」
相葉は納得したように何度もうなずく。
「この小説は下品なんだよなぁ。しかもどこか男を小馬鹿にしてるっていうか、読んでて気分は良くなかったんだよ」
散々な言いようである。
「は、はあ……」
このときの京子の心境は、ひと言ではとても言い表せないほど複雑だった。
相葉が酷評しているこの「マグダラのマリア症候群」は、実は京子が書いたものだったからだ。
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