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「その相葉ってヤロー、ムカつくっスね」
庄司歩美はそう言って、左の手のひらを右の拳でパチンッと打つ。
あたかもこれから決闘にでも行きそうな雰囲気である。
「アタシがこれから家に乗り込んでやって、ぶっ飛ばしてきてやりましょうか?」
「おい!」
京子は焼きそばが入った皿を両手に持ったまま歩美をたしなめる。
「いつまでもガキみたいなことを言ってんじゃねぇよ」
ここは京子が住んでいるアパート。
6畳一間のロフト付き。入ってすぐ左手にあるドアは、トイレとシャワー。湯船はない。右手にはシンクとその横に小さな作業スペースと一口ガスコンロ。
玄関を上がるとリビングになっていて、中央には丸テーブルが置かれている。部屋の奥には窓があり、東側の壁にはベッド、西の壁沿いにテレビという実に質素な部屋だ。
歩美の向かいに座ると、京子は焼きそばが入った皿をそれぞれの前に置く。
「それにな。歩美が言った『そのヤロー』は、仮にも私の上司なんだ。ヘタなことを言うと、私が歩美のことをぶっ飛ばすからな」
「すんません……でもっスすね、総長」
京子が睨みを効かせると、歩美は「あっ!」と口に手を当てる。
昔、少しだけヤンチャをしていた時期がある。いわゆる若気の至りというヤツだ。2人はそのころからの知り合いで、歩美は京子よりも3つ歳下だがどういうわけか気が合った。
社会人になった今でも、こうして遊びに来た歩美と一緒にご飯を食べたり、休みの日には出かけたりしている。
「冷めちまうから、とりあえず食えよ」
京子が促してやると、歩美は「いただきます!」と言うが早いか、焼きそばを頬張ったのだった。
歩美は22歳。ショートカットの金髪。耳には複数のピアス。
見た目はまさに「ヤンチャ」そのものである。
だが、歩美は京子も舌を巻くほどの頑張り屋だ。
中学を卒業してからすぐに自動車整備工場で働き始めた。女だからと悔しい思いをしたに違いないが、それでも食らいつき頑張った。
おかげで今では工場の人たちに信頼されているようだ。
この日も仕事終わりにやって来たから、部屋の壁のハンガーにはオイルの染みついたツナギが引っかけられている。
今は京子のグレーのスウェット上下という格好だ。
「うまい! さすが京子さんっス!」
「ただの焼きそばだっつうの」
「いや、これは焼きそばの中でも最上級っス!」
京子はとりあえず「ありがとよ」と、褒め言葉として受け取っておくことにした。
歩美はわかりやすい性格で、思ったことは素直に口に出してしまう。嘘のつけない性格なのである。だから下手な社交辞令なんて言わない。
彼女が「うまい」と言うのなら、それは本当なのだろう。
歩美と気が合うのは、京子もまた同じ性格て、2人は似た者同士だからなのかもしれない。
「ところで、どうしてその『マンダリンのマリーのナントカ』を書いたのが京子さんだって言わなかったんスか?」
京子は焼きそばを吹き出しそうになり、慌てて口を押さえる。
「『マグダラのマリア症候群』な」
「ああ、それです──って、どうかしましたか?」
「私の小説、読んでねぇな」
歩美は目を白黒させる。どうやら喉を詰まらせたらしい。胸を叩きながら、コップの水で流し込む。
「よ、読みましたよ。い、1ページだけですけど……」
京子はガッカリと頭をもたげる。
「通りでページビューが増えないわけだよ。おまけにブクマもゼロだし」
「マグダラのマリア症候群」は、京子が勤務している「ヒカル出版社」が管理、運営している「ユメカナエテミル?」という小説投稿アプリで書いていたものである。
つまり京子は自社のアプリで、覆面作家として小説を投稿しているというわけだ。
「ユメカナエテミル?」では、読者は何ページ読んだのかが記録される。それが「ページビュー数」であり、「ブクマ」とは「ブックマーク」のこと。
平たく言えば、これらの数が多いほど高い評価を受けていることになる。
ちなみに「マグダラのマリア症候群」のページビューの数は21。歩美が1ページ読んだのなら、実質20ページだ。
ブックマークにいたっては、投稿してから約1年経過しているが、未だに堂々(?)のゼロである。
「歩美。とりあえずブクマのやり方を教えてやるから、後でやっとけ。な?」
「ぶ、ぶくま?」
「それは一先ず置いといて、食っちまおうぜ」
「はい」
2人揃って「ごちそうさま」と手を合わせると、歩美はお皿を回収してキッチンに向かう。
「私の小説を読んだ編集長がな。下品だって言ったんだよ」
これは歩美に聞かせるというよりは、独り言に近かった。それでも歩美はしっかりとリアクションしてくれる。
「それが腹立つんスよ。京子さんが一生懸命に書いたものなのに」
「編集長は、悪気はないんだよ」
京子はテーブルにオデコをつける。
「やっぱり私が書いたなんて言ったら、嫌われちまうんだろうな」
オデコをのせたまま、顔を左右に振る。
「おまけに編集者のくせにこっそり小説を書いてたなんて知られたら、仕事をヤル気あんのかって怒られそうだし……」
手を拭きながら、歩美がやって来て正座をする。
「なんだかすげぇややこしいというか、面倒というか──頭が痛い感じっスね」
「そうなんだよ……」
会社で内緒で書いた小説が、密かに気になってる人から酷評された──京子としてはなかなか複雑な心境なのは確かである。
ところが、状況はさらにややこしくなっていくのである。
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