「悪役王妃エリスティナ」

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「悪役王妃エリスティナ」

 そう言って、クーは丁寧な所作でエリナの残りを平らげていった。  一口一口は大きいのに、けして下品な感じがしないのは、彼の整った顔立ちのせいか、それともひとつひとつ美しいしぐさのせいだろうか。  ぼんやりとそれを眺めていると、クーがエリナの視線に気づいて微笑みかけてくる。  それは本当に嬉しそうで、ここにエリナがいるだけでしあわせだ、みたいな表情だから、エリナはどぎまぎしてしまうのだ。  赤くなった顔を隠すために顔をそらす。  この部屋には本を適当に選んできた、という急ごしらえ感満載の本棚が置いてあった。  日に焼けない位置に置いてある本棚には数々の娯楽本も見える。  それを眺めていて、エリナはあれ?と思った。  下町ではそれなりに人気の題材である「悪役王妃」関連の本が一冊もないのだ。  適当に選んだなら数冊はおいてありそうなものだが、エリナが知る限りの「悪役王妃エリスティナ」にまつわる本は――それも、徹底的にその題材を避けているかのようにして――並べられていなかった。  エリナは尋ねる。 「悪役王妃の本は、ここにはないのね」  なんとはなしに聞いたことだった。  特に理由もなく、そこにないから聞いただけ。だって、街では当たり前のように、何種類もおかれてあるのだ。どれだけ人気なのだとは思うけれど、わかりやすい勧善懲悪ものは大衆に受け入れられやすいのだろう。  それがここにないことを不思議に思っただけだった。  けれど、エリナはその言葉を口にしたことをすぐに後悔することになる。  エリナの言葉を聞いたクリスの顔が目に見えて曇った。  言ってはいけないことだったのだ、と察して、エリナは慌てて両手を振った。 「ち、違うの、違うのよ、ないってことに文句があるわけじゃなくて……。その、街では普通に流通してるから、一冊もないのは不思議だなって……」 「嫌いなんです。それ」  クーが冷たい声を落とした。  背筋が凍るような、温度のない、硬い声。  エリナが思わず体を震わせると、クーははっとしたようにとりつくろった。 「あ、いえ、怒っているわけではないです。エリーに怒るなんて、絶対しないです。僕」 「う、うん。それを疑ったりはしてないわ。でもどうして……?」  エリナの純粋な疑問に、クーは一瞬戸惑ったように口を引き結んだ。  しばしの沈黙。ややあって、クーは口を開いた。 「どうして、理由を聞きたいんですか?」  その声は震えていた。  まるで、エリナがそれを聞くことが、つらくてたまらないみたいに。聞いてはいけなかったんだわ、と思ったエリナが、自分の質問を撤回しようと口を開けた時だった。 「昔、大切な人を亡くしたんです。大切な、本当に、大切な……」  クリスはそう言って、エリナを見つめた。まるで、エリナの反応を確かめているようだった。  エリナは不思議に思って、けれど、何か大切なことを思いだしかけている気がして。  喘ぐように息をして、エリナはなにか言おうとして――。  その時、なにか、鐘の音のような耳鳴りに、思考をかき消された。  私は、今、何を言おうとしたんだっけ。  点と点が線でつながったような、そんな感覚。  目の前のクーが誰かにかぶって、それはわかるのに、喉元まで来ている答えがどうしても出せない。  頭が痛い。こめかみを揉んで目を閉じたエリナの体がぐらつく。 「エリー!」  ふわりと抱き留められる体。そこに「   」の記憶を揺さぶられるのに、それが誰だったか、空白に塗りつぶされたように思い出せなかった。 「エリー、大丈夫ですか?」 「う、うん、大丈夫。立ち眩みかな。ごめんね、クー……」  へらりと笑って、エリナがクーを仰ぎ見る。――と。  クーは、顔を泣きそうにゆがめて、エリナを見つめていた。 「クー……?」  クーが、エリナを心配そうに見る。それはわかる。けれどその中に、心配以外の感情が見える気がした。悲しくて悲しくてたまらないような、それでいて、怒りを耐えるような、そんな感情。  エリナはクーの頬に手を添えた。添えて、笑う。 「実は私もあんまり好きじゃないの。趣味が同じでよかったわ」  エリナは、何度もクーの頬へ手のひらを滑らせた。
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