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あなたのそばに居たくない2
「エリー、聞いて」
「いや、いやよ、いや、いや……嫌い。クーなんて嫌いよ……」
クーの言葉を否定する。
そうやって、首を振って、この気持ちを霧散させる。
芽生える前に、恋心を摘み取るのだ。
「エリー、僕は、あなたが好きなんです」
「番だからでしょう?私、番を嫌いだって言ったわ」
「ええ、覚えています。僕は、あなたが嫌がると知っていてここに連れて来た。それも理解しています」
「それじゃあ、なんで」
鐘の音が、記憶の中で響く。からんからんと鳴り響き、エリナを責めてやまない。
お前のせいでクリスが死んだと、お前は誰にも愛されないと、お前を愛する者は、もはやどこにもいないのだと責め立てる。
けれど――けれど、クーは。
クーは、やさしく、春の日だまりのような笑顔で、微笑んで見せた。
まるで、あの日のクリスみたいに。
「あなたを、守りたかったから」
クーはそう言って、手元の本をサイドテーブルに置いた。
体ごと向き直って、エリナの顔を覗き込む。急に真剣な顔になった。
「エリーは今不安定で、だから詳しく言うことはできない。……けれど、今、あなたは危険にさらされていて。僕はそれからあなたを守りたかった」
「…………番だから、守るの?」
「いいえ。たしかに、出会えたきっかけは、あなたを見つけられたきっかけは、番だからでしょう。けれど、僕は番だからではなく、あなたに恋をしました。見ず知らずの僕にシチューを作ってくれたでしょう。僕のために」
エリナは目を見開いた。
だって、そんな馬鹿なことがあるだろうか。
そんな、ただ料理をしただけで、人を好きになるなんて単純が過ぎる。まだ番という意味がわかりませんと言われたほうが納得できるような不可解さだ。
「まさか、それで……?」
「あのシチューからは、僕への気配りと、労りを感じました」
クーが再び笑顔になって、エリナの頭をやさしく撫でた。
あたたかな手のひらは。エリナのそれより少しだけ体温が高い。
「たった、それだけで……」
エリナの、つぶやきのように落とした言葉に、クーは笑みを返す。
エリナが不思議に思うことを、予想していたような態度だった。
「はい。たった、それだけ。それだけです。でも、その一瞬で、僕はあなたを愛してしまった。僕はあなたを愛しています。……あなたに、恋をしている」
「嘘よ。証明できるの?きっと、番だから色眼鏡で見てたんだわ」
「証明はできません」
クーは静かに言った。
目を伏せて、閉じて、息をして。吸った息を一息に吐いた後、ややあって、エリナに向き直った。
「あなたが嘘だというなら、あなたにとって、この想いは嘘になってしまうでしょう。それでも、僕にとって、あなたを――エリー、あなたに恋をした、この心は真実、僕の心なんです。竜種でも、竜王でもなく、ただのクーとして、あなたを愛した、この気持ちは、あなたにだって否定できない」
クーの視線はまっすぐだった。
それでいて、あまりに真摯で、純粋だった。
それが、エリナを慰めようとして、エリナを懐柔しようとして言う言葉ならよかった。
それならエリナは心置きなくクーを振ることができただろう。
あなたなんて嫌い、そんな言葉を貫き通せた。
けれど、これではいけない。これはだめだった。
クーの想いはひたむきで、ひたすらにエリナへ尽くす心があった。
それがわかってしまうから――緑の、アーモンド形の目が、クリスと同じに見えてしまって。
「ばかね……」
――エリナは、認めざるを得なかった。
エリナはクーを置いて行くことはできない。と。
もうほだされている。まだ恋ではない。でももう引き返せない。
こんな風に、心ごとくるむように愛されてしまえば、もはや失墜するしかできなくなる。
エリナは、クーを好きだと、好もしいと。そう思っている、この心を認めざるを得なかった。
「私が、危ないの」
「はい」
「本当に?」
「ええ」
「そう……」
短い問答を繰り返す。
エリナはクーの緑の瞳を見定めるように見つめた。
その目は奥まで透明で、ああ、本当に私は今危険な状況なんだなあ、なんて人ごとみたいに思ったりして。
それを人ごとだと思えたのは、きっとエリナがクーを信頼しているからで。
エリナは口の端をわずかに引き上げ、目を細めた。
「しょうがないなあ。守られてあげる」
「……エリー」
「守ってくれるなら、守ってもらわなきゃ。そのほうがお得だもの、ね」
エリナが茶化すように言うと、クーもつられてふ、と笑った。
しばらく二人で見つめあって、笑いあって、そうしてふと窓を見やった時、空には星が散っていた。
「星が、落ちてくるみたい」
「エリーのためなら、僕、星だって月だって、取ってきますよ」
「……遠慮しておくわ」
クーなら本当にやりかねなくて、エリナは乾いた笑いで断った。
夜が更けていく。久しぶりに、平和な夜だった。
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